ENGLISH

捕鯨論説・小説・絵本のサイト/クジラを食べたかったネコ

── 日本発の捕鯨問題情報サイト ──

トンデモ鯨料理一覧

 ここでは、鯨肉の献立、製品などのうち、以下の特徴を持つものをリストアップしてみました(解説へ)。

  1. 外国から伝来した料理(調理法含む)」
  2. 「主要な食材がもともと外国原産か、あるいは海外からの輸入に頼っているもの
  3. 「鯨肉独特の臭み、固さ、血などを取り除く工夫をしているもの」
  4. つい最近登場したもの」

情報をお持ちの方はぜひこちらまでお知らせください。筆者にとってはかなりタフな作業でした(--;;;

<<解説>>

「鯨肉食は日本の大切な伝統的食文化である──」
 テレビに登場する有名なタレントや政治家の発言を聞いていると、つい「なるほど、そういうもんか・・」と思ってしまう方も多いかもしれません。しかし、上掲のリストを眺めてみれば、「一体これのどこが大切な伝統なのか??」と誰もが首をかしげたくなるでしょう。
 いま、日本の自給率は先進国中最下位にまで落ち込み、生産者と消費者との結び付きは失われ、食品偽装が大きな社会問題としてクローズアップされるようになりました。一方で、潔癖症的な衛生感覚や見栄え、規格主義にこだわる日本では、生産から流通、消費に至るすべての過程で、膨大な量の食糧が日々廃棄されています。世界では未だに飢餓に苦しむ国がたくさんある中、食糧援助の総量を上回る途方もない量の食べものが、無駄に捨てられているのです。もし、日本が自国の食文化と命を本当に大切にする国であったなら、食をとりまく状況がこれほど悲惨なありさまを呈することはなかったでしょう。「クジラを余すことなく利用してきた」などという主張は、今日の日本の食糧事情をまるっきり無視したものであり、国際社会に対しても到底説得力を持ちえません。
 この「トンデモ料理一覧」からは、日本の食の無節操さいい加減さがはっきりと表れています。捕鯨業界がこしらえた〝伝統食文化〟という空疎な言葉だけがはびこる現状は、食文化の本質がボロボロに朽ち果ててしまった日本の姿を象徴しているといえるでしょう。
 とんでも料理の特徴1と2は、本来の日本の風土や日本人の体質になじんだものではないことを意味しています。地場で採れるものを利用することが、世界中どこの国でも伝統食文化の基本中の基本であり、それは身近な自然環境と調和のとれた持続的な関係を結んできた証明でもあったはずです。要するに、食文化の最も大切な意義を理解していないということにほかなりません。実際には、商業捕鯨末期の1970年代まで利用されることのなかった南極海のクロミンククジラを使っている時点で、ほぼすべての鯨肉料理がアウトということになっちゃいますが・・。
 3は、食材として適さないものを、やむをえぬ事情により本来の食材の代用として用いる場合の緊急避難的措置ということ。もはや食文化の否定、鯨肉使用の否定以外の何物でもありません。近代以降の工業的・化学的な食品加工技術を駆使したり、西洋風の調理法の導入によって、クジラの素材の持つ性質を〝わざわざ失わせて〟いるのですから。日本人が伝統的にこうした食べ方をしてこなかった以上、文化としての伝統性も臭みと一緒に完全に失われてしまったことになりますね・・。昔とはすっかり様変わりしてしまった現代の食生活に、文化としての継承性を無視したまま、食材だけを強引に使い続けているわけです。一体、無理やりにでも口に入れることが、日本人にとって命と食べ物を大切にすることなのでしょうか?
 4番目に至ってはコメントの必要もないと思いますが、ただの新開発商品にすぎません。ご覧のとおり、国籍不明で得体の知れない折衷料理のオンパレード。資本主義の世界では当たり前のことながら、これらの一品が食堂のメニューから消えたところで、誰も困りはしません。ましてや、日本古来の伝統的食文化の存続に何らの影響もありません。実際に不人気その他の理由で消えていく数々の新・珍メニューと同様に、少しくらいは残念がるヒトもいるでしょうが・・。
 このリストが示す事実は、国民の税金による補助を受け、世界の反対を押し切って、南極までおもむいて千頭にのぼる野生動物の捕獲を推し進める根拠が、高尚な文化と名付けるにはあまりにも薄弱貧相なものだということです。過去の流通・消費量、消費形態をそのまま受け継いでいたならば、現在行われている小型沿岸捕鯨の規模だけでも十分事足りるでしょう。文化の観点からも、市場経済の観点からも、実態にまったく見合わない過大な鯨肉生産を早急に見直す必要があります。本物の日本の伝統食文化を守るためにも──。

 以下の項も合わせてご一読ください。
日本の鯨肉食の歴史的変遷
日本の食文化キーワードで見る鯨肉食


Tweet
ページのトップへ戻る