日本の食文化キーワードで診断する鯨肉食
食〝文化〟というからには、それは単に鯨肉という素材を口にする行為や、メニューの数、調理法を指すのではなく、生産・流通・消費の形態、歴史的・社会的背景、食に向き合う「こころ」をも含めた総体的な《食のあり方》を問うものであるはずです。また、食の文化も、地域・民族が特色として持つ文化全体の中の一部として位置付けられるのが当然のはず。
食文化が文化としての位置づけを与えられ、存続が望まれるのはなぜでしょう? それは、地域の人びとが自然環境を壊さずに折り合いをつけて生きていくために、長い歴史を通じて身に付け、受け継がれていった食生活の〝知恵〟だからではないでしょうか?
いま、私たち人間は、自然との調和を大切にする生き方を忘れ、そのことによって地球上から豊かな自然が次第に失われ、人類の存続の基盤そのものが揺らぎかけています。だからこそ、先代の知恵に学ぶ必要が出てきたのではないでしょうか?
現代のニッポンの〝鯨肉食ブンカ〟を見るとき、はたしてそこには食に対する文化としての視点が含まれているでしょうか? 食の本質を問う姿勢が欠けてはいないでしょうか?
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身土不二(地産地消) | 旬 | 一物全体食 | 陰陽 | ハレとケ | 不殺生 |
身土不二(地産地消)
身体と大地はつながっているという意味。すなわち、地場で採れたものを地場で消費する、ということ。これは世界中どこの地域でも食文化の基本中の基本。ニンゲン以外の全ての生きものの食についてもいえることです。「生まれ育った土地で手に入れられるものを食べるのが、自分自身の健康にもやっぱりイチバンだ」ということを、昔の人たちは経験的に知っていたのでしょう。現代の環境保護の観点からも、環境負荷をはかる指標としてフードマイレージという概念が用いられていますし、いわゆるスローフードとして地産地消は今日世界で広く推奨されています。
ところが、今では日本人の食卓にのぼってくる食べ物の多くを外国産が占めるようになりました。昔から国内で採れていたはずのもの、地域の特産品と銘打ったものでさえ、原材料はほとんど輸入に頼っているのが実情です。いまや日本の食糧自給率は4割を切って先進国でも最低水準、主食の米についても関税化され輸入の道が開かれました。水産物についても、日本は四方を海に囲まれた漁業国でありながら、すでに国内漁獲量を輸入水産物が上回っています。しかも、水産物の産地表示は実際に獲れた海域ではなく水揚した港を指すため、「国産」が本当の意味での地場で獲れた魚を意味するとは限りません。
価格競争における優位性がものをいう国際市場では、規模と効率の向上が求められる一方で、健康や環境に対する影響は軽視されています。そして、自由貿易の名のもと、食糧生産が地域の伝統維持や環境保全に果たしてきた役割も見過ごされるようになりました。そして、自分が日々口にする食べ物が、どこで、誰の手によって、どのように生産されているのか、消費者からは見えなくなってしまいました。
漁業生産ではすでに新興国に追い抜かれて大国といえなくなったものの、水産物の消費・輸入の面では突出しています。出前の注文を取れば、地球の裏側で獲れたマグロの刺身があっという間に家庭に届けられる──そんなことが当たり前となった私たちの生活の影で、これらの水産物を日本向けに輸出している当の第三世界の国々では、目の前の海で採れる魚が自分たちの口には入らなくなるという構造的な格差の問題も生じています。
クジラについていえば、かつては沿岸捕鯨地を中心にした西日本の一部の地域でしか食習慣がなく、全国に市場が拡大したのは戦後のことです。南氷洋捕鯨に至っては、はるか1万キロ離れた地球の裏側の南極の海から調達してくるという、まさしく究極の〝身土別離〟。
旬
〝旬〟という言葉だけはかろうじて残っているものの、実際にはほとんどの食品が年がら年中スーパーの店頭に並ぶようになりました。いつでも手に入るために旬の感覚そのものは忘れられ、多くの人はそれぞれの野菜や魚などが採れる本当の季節を言い当てられなくなっています。
そもそも旬がもてはやされたのは、産地と同じように、季節に採れるものをその季節のうちに食べるのが、栄養価が高くて味も美味しく、私たちの身体に合っていたからです。季節外れのものを入手するためには、燃料を燃やしてビニールハウスで栽培したり、外国から輸入しなくてはならず、その分エネルギーや環境への負荷がかかることにもなります。
かつて古式捕鯨の頃には、冬と春に沿岸に回遊してくるクジラを「上り鯨」「下り鯨」と呼び、一応旬に相当するものがありました。しかし、現代では、季節が正反対の南半球から持ってきたクジラの肉を冷凍輸送し、倉庫に丸1年以上眠らせていることも。クジラの旬を当てられる人がいないどころか、そもそも旬が存在しないというありさま。
一物全体食
食物を余すことなく活かす(生かす)ということ。経済的な側面での有効利用ではなく、いただいた生命を無駄にしないというのがそもそもの意味です。日常生活でいうなら、ダイコンやニンジンの葉っぱも食材として活用するとか、イワシを頭から丸ごとかじるといったこと。玄米正食の世界では、アクも捨てずに風味として活かします。企業が採算性を向上させるため有効利用を図ること自体は、悪いことではありません。しかし、無駄な需要を新たに創り出し、結果としてより多くの生命を犠牲にしたり、自然を根こそぎにするのでは、本来の趣旨に反するというものです。
今の日本は飽食ぶりが目に余ります。15分たって冷めたハンバーガーは出さずに捨てるのが顧客サービス。スーパー、コンビニで売られている大量の調理品・半調理品は、一定割合が廃棄されることをあらかじめ見込んで生産されています。流通・小売の過程で廃棄される食品の割合は全体のおよそ2割。環境省の推計によれば、全国で企業・家計部門合わせ年間1,700万トンの食糧が廃棄されています。東京都で外食・小売産業から1日に出る残飯の量はおよそ2,000トン。すなわち、東京だけでも南極海調査捕鯨による年間の鯨肉生産量を上回る残飯を一日のうちに捨てているのです。「モッタイナイ」という標語は、ケニアの環境活動家マータイ氏によって世界に広まりましたが、その発祥地である日本は単位人口当たりで最も命を無駄に捨てている国なのです。
さて、捕鯨に関しては、「日本は欧米と違って鯨体を完全利用していた」ということをしばしば耳にしますが、実態はどうだったのでしょうか? 確かに、捕獲量も消費量も少なかった江戸時代まではそうだったでしょうが、明治以降、ノルウェー式の近代捕鯨に転換してからは実質的に差はなくなりました。戦前、鯨油の輸出による外貨獲得を目的としていた頃は、南氷洋では鯨肉をほとんど捨てていました。全盛期には規制違反の子連れクジラの捕獲をごまかすためにそのまま投棄したり、肉のいいところだけ採って残りを捨てたり、より大きなクジラを見つけると係留していたクジラを放棄したりしていたことが、関係者の証言からも明らかになっています。日本では監督官が目をつぶる〝ぐるみ違反〟によって、表向き他国より低い違反率の数字が出されていました。現在でも、肝臓など内臓の一部はそのまま廃棄されており、解体時に出る大量の血液もそのまま海中に垂れ流しています。沿岸捕鯨も同様に、解体時の血液が内湾の汚染をもたらすため、かつては漁場への影響を懸念した漁業者から基地が焼き討ちされたこともあります。有名な太地でも、クジラの骨や頭などを無届で海中に不法投棄していたことがあります。さらに、調査捕鯨においても捕殺したクジラの肉を毎年7トン以上洋上で投棄していたことが、共同船舶元社員による証言で明らかになりました。
陰陽
陰陽五行などというと、今では伝奇フィクションの中でしか耳にしない言葉ですが、西洋流の近代栄養学が入る以前にも、東洋流の食に対する考え方がありました。若い女性の間で人気のマクロビオティックなどでは、食品毎に陰性・陽性に細かく分類されています。陰陽の分類は形態や産地の気候、採れる季節などが大まかな基準となっていますが、科学的にもナトリウムとカリウムの比率を反映しているとのこと。ともあれ、それらは風土や季節、個々人の体質や健康状態に合わせて適切な食事をとる際の〝体感的な目安〟として、古くから日本人の間でなじんできたわけです。例えば、肉類や根菜類は身体を温め、果物や精糖は陰性で身体を冷やすといった具合に。ちなみに、玄米など中庸の食物が日本人の体質に最もよく合うとされます。
では、クジラはどのあたりにランクされるかというと……キャビア、マグロ、マトンなどと同じく極陽性で、寒帯に住むイヌイットなどの人々には向いていますが、日本人は極力避けた方がよい食物とのこと。。
(注:右翼方面ではマクロビや正食などを日本の伝統食ではなく西洋から輸入されたものとみなすところもあるようですが、むしろこれらは日本で廃れながらも海外で評価を得ているものが逆輸入されたのに他なりません。なお、筆者はこれらを特に推奨しているわけではありません)
ハレとケ
古くから農耕を基盤としてきた日本では、農作業の節目に当たる日に祭事を催し、村をあげて祝う習慣が見られました。1年に幾度とないそうした行事のある日には特別の食事が振る舞われましたが、普段の食生活は実に質素で慎ましやかなものでした。江戸時代に人口の8割を占めた農民の食生活は、穀物と若干の野菜、味噌・漬物などの保存食品が中心で、主食も米は専ら年貢として供出させられたため、麦、ヒエ、アワ、キビなどの雑穀でした。庶民の食生活は「一汁・一菜・一飯」が基本でした。政治的・社会的背景があったとはいえ、それでも〝足るを知る〟のが日本人の食の基本信条であったはず。
それが今では、和・洋・中どころか世界中のグルメが街にあふれ、365日ハレの日というありさま。クジラは少なくとも、今日氾濫している多数の食品とともにハレの日のメニューに加えられるべきもののはずですが……。
不殺生
奈良時代以降、仏教文化の浸透により日本では獣肉食を忌避する風習がずっと続いてきました。特に、牛馬等の家畜は、農作業の担い手として農民から大切に扱われてきました。狭い国土と高い人口密度から、牧畜に適さず、過度の狩猟圧に耐えられるだけの野生動物もいない一方、温帯モンスーン気候下にあった日本は、穀菜食の生活に理想的な条件が整っていました。そして、豆腐、納豆、ガンモドキなど〝畑の肉〟といわれた大豆を中心にした植物性タンパクの加工品や調理法が数多く編み出され、豊かな菜食文化が花開いたのです。銃刀所持の禁令もあり、一般の農民は実質的にまったく肉を口にしていませんでした。半農半猟のマタギの狩猟も、食糧の乏しい冬の一時期に限定されていました。士族階級は食生活にも厳格さが求められ、町民だけがわずかに肉を口にする機会を持っていました。まがりなりにも畜産に近い形のものが見られたのは、沖縄の豚と薩摩の牛ぐらいでした。
もっとも、「薬食」といって食物ではなく薬用とみなしたり、ウサギを「ウ+サギ」と言い換えて獣でなく鳥とみなしたりと、殺生の後ろめたさを解消するための工夫や手続きも凝らされました(ほとんどへ理屈ではありますが・・)。日本人の食肉消費は確かにゼロではありませんでした。が、消費の絶対量がそもそも現代とは雲泥の差ですし、質的・心理的・文化的背景が明らかに異なっていたのです。ちなみに、水産物も保存法が限られていたため、漁村以外での消費量はかなり少なく、全国的に需要が伸びるのは戦後に入ってからです。
ところが、明治に入り海外から肉食が導入されると、多くの日本人はさしたる抵抗もなくあっという間になじんでしまいました。おそらく、電気や鉄道など西洋文明の進歩的でハイカラなイメージと結びついたのでしょう。戦後には食肉消費が10年で倍増というペースで伸び続け、今日では未成年の成人病や肥満、大腸ガン・心疾患等の死亡率の増加に寄与するほど、肉食先進国の仲間入りを果たしています。歴史的に引き摺っているものといえば、屠殺に関する仕事を被差別部落出身の人たちに押し付けて社会の表側から見えなくしていることだけでしょう。
狂牛病や口蹄疫の影響もあり、欧州では食肉消費は頭打ちで、イギリスでは20人に1人が菜食/半菜食ともいわれます。国際航空便の機内食をはじめ、海外でなら菜食者用のオプションが用意されているので普通に生活も可能です。翻って、もともと菜食の国だったはずの日本で肉なしで生きていこうとすると、外食がほとんど不可でつきあいの上でも大いに支障があります。学校や病院の給食での配慮などもなされていません。菜食といえば、グルメツアーで訪れる京都の寺舎の精進料理くらいしか、一般の人が耳にする機会さえなくなりました。
狩猟・牧畜民族と異なり、日本人は原型をとどめない最終的な食品を消費はしても、動物の生・死と向き合うことをしていません。要するに、現代の日本人は、生命に対する洋の東西どちらの節度も持ち合わせていないといえます。「殺さない文化・食べない文化」はさっさと打ち捨てて顧みず、外を見習うこともしない一方で、「殺して食べる文化」はどれほど形骸化しようと固持し、外からも好きなだけ採り入れるという、あまりに身勝手な文化の選り好みが、一見豊かに見えても生命とのつながりの感じられない、生かされていることを忘れてしまった今の日本人の食のあり方を規定しているといえるでしょう。
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