(初出:2018/10)
クジラは漁業を救う〝恵比寿〟!
日本では「クジラが魚を食べつくす」という鯨食害論(こちらで解説)が大手を振ってまかりとおっています。しかし、これらは科学的根拠のまったくないデマにすぎません。そのようなトンデモな俗説があっさりと社会に受け入れられてしまうのは、現代日本人の浅薄な自然観や環境/科学リテラシーの不足を象徴するものといえます。と同時に、非持続的な漁業と水産行政の無策から人々の目が逸らされ、見過ごされる結果にもつながっています。健全な漁業を取り戻すうえでいいことはひとつもありません。
実際のところ、日本では科学的な資源管理が十分になされていないため、主要な商業漁業対象種の半数が長年低位のまま推移しています。FAOの世界漁業白書でも、先進国で唯一日本だけは漁業生産量が将来大きく落ち込むと予想されています。一方、米国、オーストラリア等の代表的な反捕鯨国は、いずれも漁業・水産物消費の盛んな漁業先進国であり、持続的漁業においても日本よりずっと先行しているのです。
乱獲や絶滅危惧種の過剰消費をやめることもできず、クジラや反捕鯨団体にその責任をなすりつける日本は、《心も海も貧しい国》といわざるをえないでしょう。
ただ、反捕鯨国の方が海が豊かなのは、必ずしも「日本が持続的漁業の〝落第生〟だから」という理由ばかりではないかもしれません。クジラを守ること自体が、海の豊かさを増すことに寄与しているかもしれないのです。
大型鯨類が海洋生態系の中で果たす役割のうち、漁業生産の増進に関係すると考えられるのは次の4つ。
- 炭素固定による気候変動抑制
- クジラポンプによる海洋生産の増大
- 鯨骨生物群集による深海の生物多様性維持
- 〝エビス効果〟=魚種交代緩和効果
1.の炭素固定は、気候変動(地球温暖化)の原因である文明由来の温室効果ガス・二酸化炭素排出の影響を緩和してくれる効果。クジラは森林よりも炭素固定の効果が高いことがわかっています(詳細はこちらで解説)。気候変動による海水温の上昇は、漁業生産に大きな影響を及ぼすと考えられます。漁業生産の高い海域は主に高緯度に集中しており、寒冷な水域に適応した魚種の生息・回遊範囲が狭められれば、商業漁業も深刻なダメージを被りかねません。クジラが一方的な被害者であるのに対し、漁業は加害者と被害者の両面を持っていますが(とくに遠洋漁業)、それでもクジラたちは漁業が被る被害を低減するのに一役買ってくれているのです。
2.の「クジラポンプ」はきわめて重要。例えば、知床のヒグマがサケなどを食べ、森で糞をしたり、あるいは屍の形で森の木々に栄養を与える──すなわち「海・川の恵みを森・山に分け与える」役割を担っているというお話を、みなさんも聞いたことはありませんか? クジラポンプとは、その大洋のクジラ版。しかも、北海道のヒグマよりはるかに大きな〝仕事〟を海の生態系のためにしてくれているのがクジラたちなのです。クジラポンプは、植物プランクトンの成長に不可欠な栄養塩類がすぐに消費されるため〝海の砂漠〟にも喩えられる赤道に近い熱帯の海の表層でとくに大きな役割を発揮します。低緯度海域の生産性を15%向上させる可能性があると指摘する研究者もいます。しかし、捕鯨産業の乱獲により大型鯨類が激減してしまったため、栄養を運搬する能力はかつての5%にまで減ってしまったといわれます。日本のODAによって買収された発展途上国にとっても、クジラたちを保全するほうがよっぽど自給力向上に寄与するのです。それらの国々は日本に食糧安全保障を阻害されているといっても過言ではありません。
3.の鯨骨生物群集は、クジラの死体にさまざまな生物が集まり、独特の生物群集を作っているというもの。深海底に沈んだクジラの屍は、大はカグラザメやオンデンザメなどの深海ザメ類から、小は最近になって新種が次々と報告されている無脊椎動物の仲間、環形動物のゾンビーワームや、腸内細菌の助けを借りて骨を消化する巻貝まで、いわゆるスカベンジャーといわれる生き物たちの楽園。生産性の高い沿岸から遠く離れた低温の環境で、代謝の低い種が多い深海生物にとって貴重な栄養源をもたらしているのです。生物の起源ともいわれる熱水噴出孔周辺の生物群集の、地熱活動の停止に伴う途絶を防いだり、沿岸の生態系との間を結ぶ〝架け橋〟の役割を果たしているとの指摘もあります。直接的な深海漁業への貢献の意味以上に、まだまだ未知の種がたくさんいるに違いない深海の生物多様性スポットの維持という面でも、クジラたちの果たす役割の大きさは計り知れません。
4.の魚種交代緩和効果は、日本周辺の海での効果・日本の漁業への恩恵がとりわけ高くなると期待されます。 サンマ・カタクチイワシ・サバなど、表層の浮き魚を中心にした海面漁業の対象種には、いわゆるレジームシフトに基づく魚種交代現象が起こるため、漁獲量が極端に乱高下して安定しない、食糧生産・漁業経営の面からは困った性質があります。実は、その時々に多い魚種を摂餌するクジラは、魚種交代の変動の振幅を緩やかにし、豊漁貧乏になったり、減りすぎるのを抑制すると考えられるのです。魚をたくさん食べるはずなのに、なぜクジラがいると返って魚が減りすぎないのでしょうか? 魚種交代の有力な仮説のひとつ〝3すくみ説〟では、魚種同士がお互いに餌のプランクトンを奪い合ったり、稚魚を食べ合う関係にあるため、このメカニズムが働くと説明されます。クジラが対象の魚をある程度多く食べるのは、むしろ漁獲が増えすぎて魚価が下がってしまうときだけ。その魚が減っているときにはまったく食べず、競合する魚の方を食べてくれるため、クジラがいてくれた方がむしろ減らないのです。魚種交代現象についてはほかにもいくつか仮説が立てられていますが、魚同士の相互作用を仮定する場合は〝エビス効果〟が同様に働くと考えられます。資源が減っている魚種をまったく食べないことは日本の調査捕鯨によっても確認されていますが、改めて殺して調査するまでもない、わかりきったこと。また、資源量の最低値が上がることと振動の周期が伸びることにより、漁業規制が必要なほど減少する期間も短縮される可能性があります。
食害論を鵜呑みにしてしまう科学音痴の人たちにはちょっと難しい話かもしれませんが、クジラの摂餌特性を考えれば、これは決して不思議なことではありません。以下はグラフによる図解(わかりやすくするために変動の幅を誇張しています)。
検証に使ったエクセルファイルはこちら。そして、以下がKogia_simaさんによるプログラムを使ったシミュレーション結果。
-3すくみ仮説に基づく魚種交代シミュレーション
〝エビス効果〟は魚種交代の緩和以外にも発揮されると考えられます。ひとつは、クジラが食べる餌には商業漁業対象外の魚種が含まれていますが、これらが商業漁業対象種の競合種である場合、やはりそれらの種が増えすぎるのを抑えることで、商業漁業対象種が減りすぎるのを防ぐことが期待されます。イルカの仲間がサンマ等と競合関係にあるハダカイワシを食べるのがこれにあたります。もうひとつは、商業漁業対象種の捕食者同士のバランスを保つこと。魚の捕食者にはクジラ以外にも海鳥、アザラシなどの鰭脚類、イカ、大型魚など多くの種が含まれており、魚の中には商業漁業の対象外の種も含まれます。稚魚の間は小さな魚や小型のプランクトンも捕食者となります。それらの捕食者の大半は、クジラよりずっと繁殖率が高く、単位体重当りの捕食量も大きいのです。そのため、仮にクジラを減らした場合、その生態的地位をクジラよりはるかに早くかつたくさん繁殖し、どんどん魚を食べる捕食者が占めることになり、クジラが多くいるとき以上に魚が減ってしまうことも十分考えられるのです。
日本では昔から、八戸や三崎や高知など各地で、クジラは魚を追い込んでくれたり、魚群の居場所を知らせてくれる〝恵比寿〟様として大切にされてきました。逆に、「クジラ1頭7浦枯れる」とのことわざや、八戸などで捕鯨会社の進出に対し漁民から猛反発があがったように、捕鯨には沿岸漁業の障害とみなされてきた歴史もあります。クジラを大事にすることが漁業にとっても恩恵をもたらすことは、日本では古くから認識されていたことだったのです。そして、それにはきちんとした科学的裏づけもあったわけです。今日、IWCにおいてもクジラの生態学的役割に注目が集まっています。現代に入り、捕鯨サークルが流すプロパガンダによってかき消されてしまった〝知恵〟を、今こそ日本でも取り戻すときではないでしょうか。
参考リンク:
-オーストラリアから学ぶ日本の漁業の将来 (小松正之 上席研究員)|東京財団政策研究所
-成長する米国漁業~自由競争を諦めたところがスタート地点|勝川俊雄公式サイト
-ニュージーランド Archive|勝川俊雄公式サイト
-日本の水産資源管理はサステイナブルか|IKAN
-The State of World Fisheries and Aquaculture 2018|FAO
-Whales as ecosystem engineers: Recovery from overhunting helping to buffer marine ecosystems from destabilizing stresses|ScienceDaily
-Whales as marine ecosystem engineers|Frontiers in Ecology and the Environment
-巨大クジラ、漁業資源の増殖に貢献?|ナショナルジオグラフィック
-How Whale Poop Could Counter Calls to Resume Commercial Hunting|SCIENTIFIC AMERICAN
-鯨骨生物群集と二つの「飛び石」仮説|日本高圧力学会
-生態学第14回「魚種交替現象」(2001年9月20日)|東京大学人類生態学教室
-八戸の恵比寿神:八戸太郎/オナイジを殺す捕鯨サークル