(初出:2011/4/22 JANJAN NEWS)
福島第一原発事故と海の野生動物への影響
福島第一原発事故の発生から1ヶ月余り、農産物・水産物の放射能汚染が深刻な様相を呈している。4月4日、北茨城沖で採取されたコウナゴから4,080Bq/kgの放射性ヨウ素、447Bq/kgの放射性セシウムが検出された。さらに、いわき沖で採取されたコウナゴからは、4月13日に12,000Bq/kgの放射性ヨウ素及び12,500Bq/kgの放射性セシウムが、4月18日に3,900Bq/kgの放射性ヨウ素及び14,400Bq/kgの放射性セシウムが検出されている。それらのコウナゴから検出された放射性物質の最大値は、放射性ヨウ素で国の定める暫定規制値の6倍、同じく放射性セシウムで29倍にも上る。
被害を被るのは人間ばかりではない。コウナゴ(イカナゴの幼魚)は食物連鎖の下層に位置する代表的な表層魚の一種である。イカナゴの捕食者には、ヒラメやマダラ、スズキなどの大型魚類、カモメやウ、ウミガラスなど多くの海鳥類、キタオットセイなどの鰭脚類、そして鯨類が含まれる。
常磐沖には多くの鯨類が回遊しているが、コウナゴを主食とする種もいる。中でも、鹿島灘で小さな群れが観察されてきた絶滅危惧種のスナメリと、仙台湾で沿岸捕獲調査が実施されてきたミンククジラへの影響がとくに懸念される。ちなみに、放射線が動物に与える健康被害については、種の違いよりも性差や年齢差の方が大きいといわれる。さらに、イカナゴは砂地の海底で夏眠する習性があるため、放射能だけでなく津波の被害によっても激減しており、捕食する動物への影響は大きい。
野生動物の中でも鯨類は寿命が非常に長く、性成熟に達するまでの年齢も高い。寿命の比較的短い他の野生動物に比べ、放射線による発ガンの影響は深刻だ。甲状腺ガンについては、人間では致死率が低いとされるが、海の野生動物の場合は医療行為を受けられるわけでもなく、事情が異なる。もともと繁殖率が低いため、放射線による不妊等の生殖障害の影響や、授乳による母子間汚染も懸念される。
現在、商業捕鯨は国際委員会により一時停止の措置がとられ、日本政府の委託による調査捕鯨のみが行われている。また、沿岸では定置網での混獲の形で年間100頭を超えるクジラが死亡している。繁殖率の低いデリケートな野生動物の利用の是非をめぐっては議論があるが、海の環境が健全に保たれることが最低限大前提となる。放射能による発ガンや生殖障害による繁殖率の低下は、捕獲によるダメージから立ち直る回復力を奪い、捕鯨継続の大前提が突き崩されることを意味する。
上の図は、4月12日に文部科学省が発表した、福島第一原発からの放射性セシウムの海洋への拡散予測と、過去の沿岸調査捕鯨のデータを重ね合わせたものである(出典:文部科学省及び日本鯨類研究所)。紫色は海水の基準値である90Bq/Lを越える海域。放射性物質の濃度の高い海域は、奇しくもコウナゴとその捕食者の分布と重なっている。コウナゴは春のこの時期に仙台湾周辺に集まってくる成長期の若いクジラの主食となっている。文科省のシミュレーションは「4月12日以降は(放射性物質の)排出が停止」との前提に基づいているが、止水板設置などの当座の対策が取られた後も、沖合で採取された海水の分析結果は高い数値を示し続けている。現在のところコウナゴ以外の魚貝類からは高い濃度の放射性物質が検出されていないとのことだが、大型の魚への影響が現れるまでに半年から1年かかるとの見方もある。また、セシウム137の半減期は30年と非常に長い。
別の角度で見てみよう。4月17日に福島第一原発の沖合30kmの地点で測定された放射性セシウム137の濃度は83.3Bq/L。IAEAの資料によれば、鯨類の筋肉中のセシウムの生体濃縮係数は300倍となっている。単純に当てはめれば、鯨肉中の放射性セシウムの濃度は24,990Bq/kgとなる。もう一度上の図をご覧いただきたい。施設内の各所から地下水や海への汚染水の流出が完全に止まらない限り、放射性物質が今後食物網を通じて海洋生態系全体に拡がり、蓄積していく可能性は否定できない。
日本政府及び東京電力は、食品汚染に関して「ただちに人体に影響を及ぼす数値ではない」との説明をこの間ずっと繰り返してきた。販売規制や摂取制限は、野生動物たちにとってはまったく意味をなさない。放射能が目でも匂いでもわからないのは、動物たちも一緒である。生物多様性条約締約国会議・名古屋COP10が国内で開かれてから、まだ半年しか経っていない。世界中のどこの国々よりも海の恩恵に頼ってきた私たち日本人は、同じ海に住まう生きものたちへの影響について、もっと真剣に配慮してもよいのではないか。
東北地方には、魚たちを育てる禁漁区を設けたり、モラトリアムをきっちり遵守したり、乱獲につながる近代技術の導入を自ら拒み伝統的手法を守ってきた、まさに世界に誇れる素晴らしい漁業者の皆さんが大勢おられる。今回の震災では、とりわけそうした零細な沿岸漁業者ほど甚大な被害を被られたことに胸が痛む。一方で、原発推進に長年加担してきた政治力のある漁業団体は、原発震災の部分に関する限り、被害者面だけできる立場にはない。漁業の再生・復興は、「原発と共存」する従来の資源収奪型に戻すのではなく、「海の自然と共存」する漁業へと新たに生まれ変わる形で行われるべきだろう。
余談になるが、コウナゴの最も主要な捕食者はメロウド(コウナゴの成魚)である。科学的根拠の乏しい鯨食害論を真に受けがちな反反捕鯨論者を中心に、「コウナゴを一番多く食べるのはクジラ」との風説が流布されているようなので、念のため。
なお、試算や詳細な鯨類等への影響については、下記のリンクを参照されたい。
-食品中の放射性物質検査データ(厚生労働省)|国立保健医療科学院
http://www.radioactivity-db.info/
-海域における放射能濃度のシミュレーションについて(文部科学省報道発表資料)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/other/detail/__icsFiles/afieldfile/2011/04/12/1304939_0412.pdf (リンク切れ)
-Sediment Distribution Coefficients and Concentration Factors for
Biota in the Marine Environment(IAEA,2004)
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/TRS422_web.pdf
※ 追記1
震災の影響で昨年中止されていた三陸沖調査捕鯨(実施主体は地域捕鯨推進協会)が、本年度は実施に移され、既に石巻市場に副産物である鯨肉が出荷されている。放射能検査については、1検体で筋肉中のセシウム137の値が0.7Bq/kgと一応低い値になっている。イカナゴ自体が地震・津波の影響を強く受けたこともあり、イサダ等他の餌生物が利用されたことなども理由としては考えられる。ただ、現在捕獲・検査されている対象は、記事中に図示したように過去の三陸沖調査捕鯨で対象とされてきた仙台湾に集まる群れではなく、鮎川から北北東の南三陸町沖合で捕獲されたものである点も注意されたい。今後も値が提示されたサンプルの性・年齢・採集海域など詳細な情報に注視する必要がある。
問題は、この値が十分に低い、影響がないといえるかどうかだ。水産庁・関係者はあくまで食品としての安全性の視点しか持ち合わせていない。児童の尿中から検出された放射性セシウムが数Bq/lで水道水や食品の規制値より低いからと、胸を撫で下ろす親はおるまい。猛禽、水鳥、鰭脚類、鯨類等、寿命が長い高次捕食者への被曝の影響に対しては、決して警戒を怠ってはならない。
河北新報の記事を読むと「ミンククジラが海の生態系に及ぼす影響を探るため」と、まるでクジラや放射能や重金属などニンゲンの文明由来の廃棄物であるかのような書きぶりだが、もちろんクジラはすべての海洋生物と同じく生態系を構成する自然の一部であり、あまりにも馬鹿げた表現といわざるを得ない。エチゼンクラゲやナルトビエイなどの「有害海棲生物」とさえ比較にならないほど、漁業と海洋生態系に甚大な被害を及ぼしたのは、もちろん福島第一原発事故であり、分を弁えず誤った政策を選択した日本という国、ニンゲンという愚かな動物である。復興も道半ばで財政破綻寸前のこの国に、環境影響評価・科学研究予算配分についてここまで優先順位をひっくり返すような余裕はないはずである。記者個人は鯨類の致死的調査も必要だとの立場であるが、それはあくまで放射能による海洋生態系への影響を調べる包括的な調査の一環としてであり、現行の副産物ありきの三陸沖調査捕鯨はまったくその体裁をなしていない。調査は汚染がより懸念される海域を中心に、鯨類以外も含め対象種を幅広く設定し、セシウム以外の放射性元素、筋肉以外の部位についても、徹底的に行われるべきである。(2012年4月22日)
-2年ぶり調査捕鯨 ミンク初の水揚げ 石巻・鮎川(河北新報・4月17日)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/04/20120417t15008.htm (リンク切れ)
-放射能影響調査等における水産物の放射性セシウム及びヨウ素濃度の測定結果(水産総合研究センター ・4月18日)
http://www.fra.affrc.go.jp/eq/result_Cs_I.pdf
※ 追記2
2013年3月30日に、飯舘村放射能エコロジー研究会主催のシンポジウムが開かれ、福島周辺の野生動物の異常が報告された。
福島市内のニホンザルの調査結果によれば、被爆量は外部被爆年間数mSv、内部被爆10mGy程度であるが、白血球の大幅な減少などが見られるとのこと。
記事中に提示した、高濃度の放射性物質を含むイカナゴを1ヶ月間摂取したと仮定した場合、ミンククジラ、スナメリともに、その内部被爆量は数十mSvに及ぶ可能性がある。
ニホンザルと同様の異常が起きていないか、詳細な調査が求められる。(2013年4月12日)
-福島原発周辺で「動植物異常」相次ぐ(東洋経済オンライン)
http://toyokeizai.net/articles/-/13516?page=5
※ 追記3
元データについては、目下のところコウナゴから検出された最大値である4/13、4/18の値を提示しています。鯨肉のセシウム濃度の方は、4/17観測地点5の83.3Bq/Lを使いましたが、4/15観測地点5の186Bq/Lをもとにすると55,800Bq/kgに。このポイントの数値はいったん下がりましたが、観測地点6の方では未だに30Bq/L台で、放出・減衰量というより海況によるのでしょう。