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捕鯨論説・小説・絵本のサイト/クジラを食べたかったネコ

── 日本発の捕鯨問題情報サイト ──

(初出:2008/11/15~ JANJAN NEWS)

増える在庫/消える在庫・鯨肉在庫統計のカラクリを読む

1.減産が続いた調査捕鯨、今年は再び増産へ?

 今年は例年になく日本の“調査捕鯨”に注目が集まり、世間を賑わせる年となった。昨シーズン(2007/08年)の南極海調査捕鯨では、捕鯨反対を唱える国際組織シーシェパードによる妨害活動が、国内のマスコミによっても大々的に取り上げられた。
 調査捕鯨船団の帰国後の5月には、グリーンピース・ジャパンが船員による調査鯨肉の横領疑惑を告発し、その後、逆にスタッフが窃盗容疑で逮捕される事件が起きた。6月には、国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会がチリ・サンチアゴで開かれた。8月には、日本の警察当局が調査捕鯨船に対する威力業務妨害の容疑でシーシェパードのメンバーを国際指名手配している。
 まもなく今年度(2008/09年)の南極海鯨類捕獲調査(JARPAⅡ)、いわゆる調査捕鯨が開始される。母船日新丸を中心とする日本の捕鯨船団は近日、静かに日本を発つことだろう。
 11月13日には朝日新聞で捕獲目標の1割削減が伝えられた。理由は、反捕鯨団体の反対活動と国内の鯨肉需要の低迷だという。一方、別の報道では、水産庁による「今期も1000頭程度の捕獲目標を維持する」とのコメントも紹介されている。はたしてどちらが本当だろうか? そしてまた、より合理的な判断といえるだろうか?

-「調査捕鯨、初めて捕獲目標を削減へ 年間で約1割」(11/13、朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/1113/TKY200811120391.html (リンク切れ)
-「日本の調査捕鯨、今季もザトウクジラは捕獲せず」(11/14、AFPBB・国際ニュース)
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2539180/3525038

 2005/06年にスタートしたJARPAⅡは、前年に終了したJARPAⅠから捕獲数を大幅に増やし、クロミンククジラのみだった捕獲対象種にもナガスクジラとザトウクジラを新たに付け加えた(ザトウクジラについては、政府は前年に続き今期も一時中止を表明している)。それに伴い、鯨肉生産量もほぼ倍増した。初年度の第1次調査(05/06)では3500トン弱の鯨肉が生産された。
 JARPAⅡの鯨肉生産に関しては、捕獲頭数と生産量との関係から、とくにトラブルのなかった第1次調査(05/06)においても1頭当りの鯨肉の歩留をJARPAⅠの時より下げたのではないかとの疑いも持たれている。
 06/07年の第2次調査では、操業中に母船で火災が発生して船員1名が亡くなり、調査の中断を余儀なくされたため、生産量は2100トンにとどまっている。2007年2月、日新丸の火災事故の際には、当時農相だった故・松岡利勝氏が、この漁期の鯨肉生産量を「3500トンの予定」と発言している。
 07/08年の第3次調査では、事故はなかったものの、生産量は2000トン弱と前年をも下回った。調査捕鯨を担う財団法人日本鯨類研究所(鯨研)は、この減産の理由を「反捕鯨団体の妨害活動によるもの」と説明している。これについては、天候不順の影響も伝えられており、また、調査船団側の抗議活動への対応が従来と異なっていたため、はたして真剣に目標捕獲数を達成する気があったのかどうか疑う向きもある。
 近年の消極姿勢の動機として考えられるのが、需給のアンバランスにより鯨肉市場が飽和し、在庫超過に陥っている状態を解消するため生産調整を図った、というものである。実際、JARPAⅡ第1次調査により生産された鯨肉が入荷した2006年4月の鯨肉在庫は5969トンにまで膨れ上がり、調査捕鯨による年間供給量をついに上回った。その後の2年間の“減産”により、在庫の量もいったん落ち着いたかのように見える。
 いずれにしろ、母船・日新丸と、中積み船・オリエンタル・ブルーバード号の積載能力からみても、現状では1漁期で4000トンを超える生産をあげるとは考えにくい。今期の第4次調査(2008/09)が滞りなく予定通りに進めば、来年の4月頃には、やはり第1次調査の年と同程度の3500トンほどの鯨肉が、新たに日本国内の市場に投入されることになるだろう。
 今期の調査捕鯨に対しては、グリーンピースは監視船を送らないことを表明しているが、シーシェパードの方は「オペレーション・ムサシ」と称して2隻の抗議船を派遣すると発表、マスコミのほか、米国女優の乗船も報じられている。

-「日本の調査捕鯨活動妨害へ抗議船、月末にも出港」(11/11、共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111001000705.html
-米女優ダリル・ハンナ、シー・シェパードの捕鯨抗議船に乗船(11/14、AFPBB・国際ニュース)
http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2538964/3523142

 報道によれば、今期は昨年のように海上保安官を捕鯨船団に乗船させることはないとしている。前年と同様に、計画に支障が生じても操業を中断して回避行動をとり続けることは、今回はもうないのだろうか? 海保の助言で導入したという“新兵器”に一体どの程度のコストをかけたのかは不明だが、それが威力を発揮して、以前のように調査計画を優先し、抗議を無視して粛々と捕獲作業を続けることができるのか?

-「捕鯨船に08年度は保安官乗せず 妨害に新対策導入で」(11/13、共同通信)
http://www.47news.jp/CN/200811/CN2008111301000808.html

 そして、もうひとつ重要な情報がマスコミを通じて流された。10日の日本経済新聞は、鯨研と調査捕鯨の実施主体である株式会社共同船舶が苦境に陥り、経営の合理化を余儀なくされている事実を伝えている。

-「調査捕鯨の鯨類研、鯨料理店を閉鎖へ 資金繰り悪化で合理化案」(11/10、日経新聞)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081111AT1G1004910112008.html (リンク切れ)

 一つ、鍵を握っているのは、水産庁・捕鯨業界の在庫の現状に対する認識である。そして、日本の世論・マスコミ及び市場が、再度の“増産”を許容するものとみなすか──もしくは、受け入れられるために何が必要と考えているか──である。それは、今年設置が決まった作業部会による結論が出される来年のIWC総会、さらには日本政府が建前としている商業捕鯨の再開の可能性とも密接に関わってくる。
 鯨肉在庫の動向を正しく把握することは、単に今年の調査捕鯨による増産の適否を判断するのみならず、日本の捕鯨産業の今後を見極めるうえでも重要である。そして、筆者は公表されている在庫統計の数字に、いくつか“不可解な徴候”があることを発見した。南極海で今年のJARPAⅡの操業が開始される前に、そのことを皆さんにお伝えしておきたい。
 調査捕鯨に関しては、その科学的正当性についても内外で疑問が投げかけられている(例えば、「なぜ調査捕鯨論争は繰り返されるのか」『世界』3月号、「捕鯨ナショナリズム煽る農水省の罪」『AERA』4/7)。本記事では鯨肉の冷凍在庫の統計に焦点を当て、鯨肉の供給量・流通量がはたして社会的に適正な水準といえるのかを論じる。
 また、調査捕鯨を引き受ける株式会社共同船舶と所在地を同じくする業界団体である財団法人日本捕鯨協会の主張には、彼らが在庫の現状をどのように“見せたがっているか”がはっきりと示されており、これに対しても改めておかしな点を指摘したいと思う。

2.順調に減っていたはずが……

  調査捕鯨による鯨肉生産量は、市場の需給動向に応じて決められるものではない。調査捕鯨の事業を担う鯨研(財団法人日本鯨類研究所)が「調査のために必要な捕獲数を算定した」ことになっており、IWC(国際捕鯨委員会)にその計画書・報告書を提出している。
 少なくとも建前上、鯨肉は、あくまで科学調査の結果としてもたらされる“副産物”という位置付けである。卸売価格も、鯨研・共同船舶が日本政府(水産庁)と協議した上で決定する。なお、その販売収益は調査費用に充てられることになっている。
 市場経済の原理とも社会的・文化的ニーズとも一切無関係に生産量が決定される“食品”──それが調査捕鯨の副産物なのである(以下、とくに区別する場合は“調査鯨肉”と呼ぶことにする)。科学の大義名分のもとに生産され、副次的に一般の消費市場に大量に供給される食品というのは、日本はおろか、世界中を見回しても他に例を見ないであろう。しかも鯨類は、国際捕鯨条約あるいは国連海洋法に基づき、国際管理下に置かれることが求められる野生動物である。
 公益法人にして科学研究を主目的とする機関である鯨研は、年に調査研究費の2倍以上に上る5億円を広報に費やし(「日本鯨類研究所:平成19年度収支予算書」)、水産庁は鯨肉食普及運動の先頭に立ち、2年前新たに立ち上がった販売会社も、赤字をものともせずに懸命なPR活動を行っている。科学の名で行われた生産量に無理やり合わせる形で、政府・業界が消費の拡大、需要の掘り起こしに躍起となっている。
 しかし、自然な需給の動向を無視した形で製品が供給され続ければ、当然のことながら市場にはひずみが生まれる。実際、生産量に見合うだけの需要がなければ、年を追うごとに在庫が積み上がっていくことになる。
 本シリーズで示すグラフと表は、すべて農水省が月毎に発表している「冷蔵水産物流通統計」をもとにしている。全国の産地41市町及び消費地14市区町を調査対象とし、これらの調査市区町の主機10馬力以上の冷蔵能力をもつ冷蔵・冷凍工場から、累積冷蔵能力80%に達するまでの工場を選定し、申告された値を集計したものである。クジラの捕獲数・生産量など付随するデータの出典は、農水省及び鯨研の報道発表資料である。

-これまでの報道発表資料(農林水産省)
http://www.maff.go.jp/j/press/arc/index.html
-プレスリリース(日本鯨類研究所)
http://www.icrwhale.org/02-A.htm

 年間6、7千トン程度とみられる日本の鯨肉生産に関しては、捕鯨による直接的な捕獲以外に、定置網によって混獲されたクジラの肉の流通も含まれる。また、今年はノルウェーとアイスランドが鯨肉の輸出を再開し、北大西洋産の鯨肉が輸入手続を経ずに日本に持ち込まれていたことがグリーンピースにより明らかになった(最終的には許可が下り税関を通過した模様)。
 DNA登録をしたうえで水産庁の許可のもとに販売される混獲鯨の数は、現在年間100頭余りに上る。混獲鯨については、監視・管理体制が未整備なまま市場流通を容認すれば密漁につながりかねず、ニシコククジラやミンククジラの一部の個体群などに与える影響も無視できないため、混獲の防止・減少に向けた抜本的な対策が必要との指摘もある。

-ストランディングレコード(日本鯨類研究所)
http://www.icrwhale.org/zasho.html
-定置網混獲で死んだ絶滅危惧ニシコククジラに関する共同声明(2007年2月9日)
http://ika-net.jp/ja/ikan-activities/coastal-small-whales/116-pressrelease20070209

 ただ、これらの供給は散発的・分散的で、流通量からいっても、現時点では輸入鯨肉とともに在庫の動向を左右するものとはなっていないと考えられる。
 また、IWCの管轄外で水産庁が業態の管理と資源保護の責を負うところの小型沿岸捕鯨/イルカ漁によって供給される鯨肉(それぞれ推計で500トン弱、1000トン弱)は、生もしくは塩蔵品が中心で、嗜好性が強いこともあり消費は地場に限られる。農水省の発表している漁業・養殖業生産統計(2007)では、2007年の海産哺乳類の生産量は1500トンで、対前年度比は93.7%となっている。統計上で反映されるのは、せいぜい大きな漁港・水産拠点と重なる函館・網走・石巻で水揚されるツチクジラ、ゴンドウの肉の一部のみと考えられる。
 よって、都市を中心に全国の市場に出回っている鯨肉は、ほとんどJARPAⅡと北西太平洋鯨類捕獲調査(JARPNⅡ)によるものとみてよいだろう。
 なお、調査捕鯨にはこの他に、小型沿岸捕鯨事業者が船団ではなく捕鯨船のみを使用した三陸沖・釧路沖での沿岸調査もある(正式にはJARPNⅡ(北西太平洋)の一部という位置付け)。ただ、捕獲数はそれぞれミンククジラ5、60頭で生産量としては少なく、また、生産物は主に政府が指定する沿岸捕鯨地5市町に生鮮品として配布される。
 例えば、今年の釧路沖沿岸調査(ミンククジラ50頭)では、冷凍品20トンに対して生鮮品赤肉等の割合は50トン。これは沿岸捕鯨地での消費の割合を反映したものと考えられる。このことからも、小型沿岸捕鯨及びイルカ漁によって生産される鯨肉のうち、全国主要冷蔵庫の対象となる冷凍品は、多くても年間500トンを超えることはないと思われる。付け加えれば、地域に根ざした伝統的な食習慣である以上、年毎に消費・流通量が大きく変動するはずがないことも、くわしい説明の必要はあるまい。
 もう一つ、統計に示される在庫が主に調査鯨肉であることを裏付けるデータを、以下の表で示す。



 <表1>の左側はJARPAⅡ及びJARPNⅡによる各期の鯨肉生産量の合計の数字。そして、右側が入港月(2005年JARPAⅡに関しては入港が3月末なので4月)の月間入庫量と月末在庫量及び在庫量1位となった都市である。日新丸の入港先と、その月の在庫量全国1位の都市はピタリと一致し、生産量と入庫量、1位都市の在庫量もよく符合しているのがわかる。
 JARPAⅡ及びJARPNⅡは、総トン数約8000トンの大型母船日新丸を軸に船団を組む、かつての大手捕鯨会社による操業とまったく同じスタイルの母船式遠洋“調査”捕鯨である。捕鯨船(キャッチャーボート)に捕獲されたクジラは、ファクトリーシップである日新丸に引き渡され、そのまま洋上で解体・加工される。処理された鯨肉は、共同船舶社員による横領・横流しの疑惑がかけられた土産品の塩蔵畝須など一部を除き、大半が冷凍された状態で日本に運ばれてくる。
 母船が入港すると、荷揚された鯨肉は最寄の大型冷凍倉庫に一次搬入される。調査鯨肉が水揚された当月に、全国主要冷蔵庫を対象にした農水省の統計にストレートに反映されるのは道理といえよう。そのうちの一部(JARPAⅡ、JARPNⅡそれぞれ300トン程度)は公益用として枠が設けられ、地方自治体、学校給食、“啓発”事業に回される。残りは市販用として、後日1~3ヶ月ほどの期間をかけて各都道府県の中央卸売市場及び一部の地方卸売市場で販売される。各地方への配分は、過去の消費実績や現時点の需要に応じて決められることになっている。
 夏季の調査による北西太平洋のJARPN分については、入庫も都市在庫も生産量の数値より少なめだが、これは帰港先が沿岸捕鯨地でもある石巻、函館などで、やはり生鮮品・塩蔵品の比率が高いためとみられる。翌9月の入庫量もやや多いことから、倉庫の収容力等の関係で一次搬入作業が8月下旬から9月上旬にまたがっている、もしくは2回にわたっているケースがあることも考えられる。一部は捕鯨船に積み込まれたまま直接下関などの消費地に運ばれた可能性もある。
 ちなみに、捕鯨船にも冷蔵設備はあり、目視専門船として船団に加わっている第2共進丸の場合で250トンほどの積載能力があるとされる。2007/08年のJARPNⅡは、入港先が大井で在庫の数値も他年と異なるが、これについては後で触れる。
 続いて、最新の今年9月までの過去4年間の鯨肉月末在庫量の推移を折れ線グラフで示す。



 ここには、2004/05年のJARPAⅠ最終年次及びJARPAⅡの第1次から第3次までの期間が含まれる。この4年間は、それぞれの年毎の生産状況に特徴がある。2004/05年はJARPAⅠの最終調査年。2005/06年はJAPRAⅡが始動し調査捕鯨としては生産量が最大になった。また、もう一つのトピックとして、販売強化のための合同会社鯨食ラボが設立されている。
 2006/07年は火災による大幅減産。突発的なアクシデントのため、母船の帰港・鯨肉の水揚も予定より一月早まった。昨シーズンの2007/08年も、前述のように妨害活動を理由に同じく減産。こちらは全体のスケジュールには変化はない。
 ご覧のように、一部の例外を除き、各年とも非常によく似た曲線を描いていることがわかる。具体的には、年2回の母船帰港時に鋭いピークがあり、そこからほぼ直線的に減少していき、次のJARPAもしくはJARPNの供給分が加わる前の月で谷ができている。年によってJARPAとJARPNのどちらのピークの方が高いかという違いはあるものの、基本的には同じ、“山2つ谷2つ”の構造である。これも、在庫統計に表れている数字がほとんど調査鯨肉のものであることに起因すると考えられる。
 <グラフ1>を大まかに眺めてみると、生産量の増加に応じる形で、2005年から2006年にかけては在庫も増加し、その後2007年、2008年の前半と、徐々に下がってきているような印象を受ける。2006年から2007年にかけては生産量も減少したが、2007年と2008年の間では、生産量に大きな差はない。これは、捕鯨協会が主張するように、増産した分も消化できるほど鯨肉需要が拡大したことを意味するのであろうか?
 最新の今年8月及び9月の在庫統計の数値(赤色部分)は、そうした見方に重大な疑いを差し挟むものだった。昨年末から今年の前半にかけて、順調に数字を減らしていたはずの在庫が、ここへきて突然また昨年と同じ水準にまで“復活”してしまったのである。水色の線は今年7月分までのデータから導かれた近似曲線(3次の多項式近似)。黄色の線は9月分までを含めた同じ近似曲線である。この2ヶ月だけで減少傾向が明らかに横ばいへと転じたことがよくわかる。

3.不自然な在庫の動き
 鯨肉在庫の推移にみられる不自然な点を、さらに表も用いて検証してみよう。次に掲げる3つの表は、過去4年間の鯨肉の月末在庫量、月間入庫量、月間出庫量を、年毎に対比できる形で並べたものである。少々とっつきにくいと思うが、辛抱してお付き合いいただきたい。



 各表中、年間(前年10月~9月)の最大値は下線、最小値は斜体で表している。対前年同月比が100%未満のものは青字で示している。在庫と入庫に関しては、2006年/07年の3月~6月を一月分後ろにずらしているが、これは同年火災事故発生によって日程が繰り上がった分を他年と対比しやすくするためである。括弧付きの数字は、前年の同月ではなく前月/翌月との比である。注目してほしい数値は着色、太字、赤字で示している。とくに“アヤシイ数字”は赤字の太字で表してある。以下、順番に表の解説をしていこう。
 <表2>では、JARPAⅡ分入荷月を青色で、JARPNⅡ分入荷月を黄緑色で示してある。この月末在庫量の推移からは、非常にはっきりした傾向を読み取ることができる。2006年2月までの在庫は前年と同水準である。JARPAⅡ第1次調査の分が水揚された3月から6月までは、前年比130%台にまで在庫が膨れ上がる。それが7月に110%台に落ち、翌年のJARPAⅡ分が入ってくる前の2007年2月までこのペースが維持される。火災によるJARPAⅡ第2次調査での大幅減産により、2007年3月からの1年間は、在庫の前年度比は7、80%台で推移する。生産量がほぼ前年並にとどまった第3次JARPAⅡ分入荷後の4月から6月までの4ヶ月間も、在庫量は前年度比80%台のままで、比率に大きな変化はなかった。ここまでなら、かなり堅調に在庫が掃けていたと解釈することも可能だった。
 しかし、その後奇妙な現象が起こる。予兆は7月にあった。JARPNⅡ分入荷前の谷の部分で、在庫量は不意に前年度比98%に迫る。そして、前章<グラフ1>にも示したとおり、なんとこの8月のタイミングで在庫が4058トンと4千トンの大台に乗り、前年度比も105%と上回ってしまったのである。9月にはそれがさらに4209トンにまで増え、今年度の在庫量の最大値を更新した。年に2つのピークの値を比較すると、増産を開始した2006年以降、JARPAⅡ分入荷月の4月の方が勝っていたのが、今年は9月の在庫量に抜かれたことになる。8月9月の両月はJARPNⅡ生産鯨肉が水揚される月にあたるが、2008年のJARPNⅡの生産量も前年とほとんど変わらない。JARPAⅡと同様に若干下回っているほどである。つまり、これは少なくとも「生産増がもたらした在庫増」ではない。
 <表2>にはもうひとつ、不思議な点が見出される。今年4月と5月の、赤字で示した数字である。この2つの数字を比べてみると、最大になるはずの入荷月の4月より、翌月の数字のほうが若干高くなっている。<グラフ1>に見るように、従来の鯨肉在庫曲線は調査鯨肉が水揚された月を頂点にした鋭いピークを持つ。今年4月と5月は、そのパターンから外れているのである。このことを視覚的に示したのが次の<グラフ2>である。



 上で述べたように、鯨肉の在庫曲線は毎年“山2つ谷2つ”のよく似たパターンを描く。そのため、ピーク月を基準に各年の在庫曲線を重ね合わせたときの違いを見ることで、逆にその年に起こったイレギュラーな事態を推測する手がかりにもなる。果たしてご覧のとおり、グラフの山の形(丸で囲んだ部分)が2008年のみ2005~2007の3年間とは明らかに異なる。
 今年の4月、そして8月に、鯨肉市場で“何か”が起こったのだろうか? ちょうど今年のJARPAⅡ/JARPNⅡによって鯨肉が供給されたタイミングで、需給のバランスに大きな変化が生じたのだろうか? それとも、別の要因があったのだろうか? その理由を探るために、出庫量と入庫量についても詳しくチェックしてみよう。



 <表3>を見てみると、各月の出庫量は大体300トン~600トン程度で推移してきたことがわかる。調査鯨肉の調達の性格上、特定の月に極端に集中している入庫量に対し、出庫量のほうは少なくとも2006年以前には大きな波はなかった。都市の消費者による鯨肉の消費は、年間を通じてほとんど偏りがないとみられる。冷凍技術もない古式捕鯨の時代には、クジラが沿岸に来遊する時期に合わせて消費にも季節的変動があったに違いないが、いまどき季節が反対の地球の裏側から持ってくるクロミンククジラの冷凍肉に、旬もへったくれもあったものではないだろう。その中で、各年で変化の見られるタイミングが2回ある。
 ひとつは、JARPAⅡ船団が帰港する直前の3月である(青色の部分)。ただし、この出庫増は、2005年以前のJARPAⅠの期間には見られないものだった。表中にはない2004年3月の出庫量も326トンで、2005年同月とほぼ変わらない。それが、JARPAⅡに切り換わった2006年には827トン、前年より230%も増えた。これは、生産量が約1500トンも割増され、いちどきに大量の鯨肉が搬入されてくるのに備え、倉庫に空きを作る必要からだと考えられる。次が入ってくる前に、なんとか前年分の古い在庫をどけてしまおうというわけである。2007年には、火災による調査中断というアクシデントのため、在庫の事前整理が間に合わなかったのか、2月、3月の2か月にわたって出庫が増えている。2年間の減産で主要倉庫の在庫量が落ち着いたせいか、2008年にはその量が500トン弱にまで下がっている。
 一方、入荷直前の出庫増に対し、水揚げの直後から当年産の鯨肉の卸売販売が始まるまでの間の4~6月頃は、常識的に考えて、一年のうちで在庫の動きが最も鈍くなる時期のはずである。実際、2005年~07年では、出庫量が最も低い値を示しているのは4月か5月であった。そこで、2008年4月の出庫の数字を見てほしい。前年比160%増の749トン。生産量が最大となった2年前と比べても200トン近くも多い。ここでも“不思議な現象”が起きているのである。前年の3月のように、別に予定外のアクシデントで荷揚の日程が早まったわけでもないし、増産したならともかく減産なのだから、在庫の処分が入荷当月にずれ込んだ、あるいは不十分だったので追加で処分をしたという説明も筋が通らない。
 入庫量の推移についてはどうだろうか。<表4>に目を転じてみよう。<表2>と同じく青色の部分がJARPAⅡ、黄緑色の部分がJARPNⅡの入荷月。調査鯨肉が供給されるこの2つの時期以外は、大体200~400トンで推移している。入庫が最低値を示すのは、特殊な2008年を除く3年ではいずれも5月で、理由は出庫のところで説明したのと同じである。増産した2006年の5月と6月は100トン台、どこの倉庫も満杯で受け入れる余地がないというところだろう。ところが……2008年の5月の入庫だけは、514トンと前年同月の倍以上、同年の他月に比べてもきわめて高い値を示している。入庫量が出庫量を上回ってしまったため、この年のみ前半のピーク月が4月ではなく5月なのである。だから、<グラフ2>で2008年のみ山が平坦になったように見えたのである。
 2008年の4月と5月、3つの表の紫色で示した部分の在庫の例年にない動きは、一体何を意味するのだろうか?

4.減っているように見えたワケ
 ここで、統計「冷蔵水産物流量」について補足しておく。先に「“需給のバランス”に変化が生じたのか?」と述べたが、この統計のデータからわかるのは、真の需給あるいは生産量/消費量ではなく、冷凍倉庫への入出庫に関する情報のみである。
 調査捕鯨の副産物「調査鯨肉」が、水揚けされる年に2度の入荷月以外の各月の入庫は、上で説明した理由により、ほとんどが基本的に業者の都合による自社内での移転もしくは転売による倉庫間移動とみていい。調査対象に含まれない倉庫の在庫はカウントされないため、対象倉庫から対象外倉庫への移動があった場合、数字の上では「在庫が減少した」とみなされることになる。
 一体いつ生産されたものかも定かでない古い鯨肉が倉庫の奥に山積みになっていることは、マスコミによって報道されている。しかし、何年も眠らせておく余裕のない小さな会社の倉庫でも、1、2ヶ月一時的に保管しておくことは可能だろう。今年4月の出庫、5月の入庫の数字から考えると、250トンないし300トンの鯨肉が、JARPAⅡ分の水揚に合わせる形でいったん統計外に消え、4月の在庫ピークの値を押し下げ、翌月に別途手配した倉庫に戻ってきたと考えると辻褄が合う。<グラフ2>の“不自然な山”もこれで説明できる。
 はたして、この5月の在庫上位都市を見ると、今まで名前がリストに挙がってきたことのない船橋市が唐突に3位にランクインしている。在庫量は318トン。以後9月まで、同市の在庫の値にはほとんど変化がない。なお、船橋市は今年のJARPAⅡの一次搬入先となった東京に程近い海浜都市であり、市内には元捕鯨会社(旧名:日東捕鯨)で現在は水産食品会社であるデルマール株式会社など、複数の水産・食品関連企業の工場や倉庫がある。
 なぜ4月の在庫ピークを低く見せる“必要”があったのかは後ほど解説するとして、<表3><表4>の分析に話を戻そう。出庫量に変化が見られるもうひとつの時期は、7月と8月(黄色の部分)。これらの月には、JARPA生産分の鯨肉が全国の中央卸売市場と一部の地方卸売市場で販売されるため、増えるのはある意味当然であろう。つまり、両月の出庫の増加分は一次倉庫から流通・食品業者の持つ二次倉庫への移転を意味するとみていい。
 それが証拠に、各年7月の入庫も500トンから900トンと他月に比べて多くなっている。2007年には事故に伴い市場への販売期間の日程が前倒しされ、それが出庫の統計にも反映されている。8月の入庫にはJARPNⅡ入荷分に加え、JARPA分の流通倉庫への二次搬入も含まれるとみられる。2007年8月の入庫が他年より少ないのも、やはり販売日程繰上げによって説明できる。
 ここにも異常な数値がある。2006年7月の1723トン。JARPNⅡの1漁期の生産量に迫るほどの量である。対前年比は230%、前月比も4倍以上と、あまりに突出した伸びである。これほど鋭いピークは、やはりJARPAⅠの期間には存在しなかった。しかも、前後の月の入庫量にとくに不自然な点はなく、少なくとも統計上の在庫は800トン減少し、そのおかげで対前年度比も20%下がっている。水産物全体を見回しても、出庫量がここまで極端に変動するケースはほとんどない。
 同じ2006年ではかろうじて11月、12月のスケトウダラと12月の“その他のイワシ”の例があるのみだ。もともと資源状態の厳しかったスケトウダラは、同月に「捕獲枠削減必至」との報が流れたことによる在庫確保の動きから。また、“その他のイワシ”は、マイワシの資源量減少と漁獲規制の動きにより、とくに生き餌や飼料用としてのカタクチイワシの代替需要が増したことが出荷増の原因である。安定供給ないし計画的な供給が可能な“はず”の調査鯨肉とは、事情がまったく異なるのはいうまでもない。
 背景は至ってシンプルである。水産庁の後押しで販売促進のための合同会社鯨食ラボが発足したのが、この年の5月のことだった。鯨食ラボは鯨研・捕鯨協会とともに数々のキャンペーンを張り、利益を度外視した販促活動を行ったとされる(「鯨肉さばけぬ悩み」2月9日・朝日新聞)。今年に入っても、2月にはネット通販サイトの閉店セールで25%OFFを謳ったり、日新丸帰港後に高速道路のサービスエリアにまで出向いて試食キャンペーンを張るなど、涙ぐましいほどの努力を続けてきた模様である。もし、わずか1ヶ月で全在庫の15%を売り切ったのだとすれば、鯨食ラボは驚くほど有能なPR会社に違いなく、生産量に匹敵するほど過大な在庫に頭を悩ませていた業界にとってはまさに救世主だったろう。
 その鯨食ラボも次第に息切れしていったのであろうか。それとも第1次の時と違い、第2次・第3次では生産量が落ちたので、出血サービスを重ねてまで売る必要はないと踏んだのか。翌年同月の出庫量は1235トン、今年は898トンと前年に比べてガクンと落ちている。そして、この8月の在庫は再び前年を上回るまでに膨らんでしまった。せっかく別会社を立てて大赤字を背負わせてまで消費拡大に努めてきたのが水の泡である。そうなると、この2年間の在庫減少は、ひとえに文字通り血のにじむような(鯨肉の血の色を隠す加工技術の開発などもあったようだ)鯨食ラボの販促キャンペーンのおかげということになるのだろうか?
 確かに、今年7月の入庫量を見ると、前年より200トン弱少ない。この部分については販促をやめたせいともみなせる。同月に在庫量の対前年比が急に増え始めた理由のひとつだろう。だが、出庫量のほうは前年度に比べて300トン以上も下がっているのである。残りの100トン余りはどうしたのか? 販売会社が力を抜いた途端に、今までの効果が相殺されるどころかマイナスになってしまうほど需要が落ち込むというのも、これまた不自然な話である。2年前からこの方、せっせと煽ったおかげで鯨肉が飛ぶように売れていたのに、今年の夏キャンペーンをやめた途端、鯨肉の購買層が手のひらを返したようにそっぽを向いた‥‥ということになるのだから。
 今年8月と9月、それまで前年に比べて減少傾向にあったはずの鯨肉在庫が突然元の木阿弥に戻ってしまった原因が、「生産の急増」によるものでも、「需要の急落」によるものでもないとすれば、あと考えられる理由はひとつしかない。倉庫間移動によって、いったん消えていたはずの在庫がまた統計の上に戻ってきたということだ。実際、<表4>を見ればわかるように、JARPNⅡ(北西太平洋)の生産量が前年より若干下がったにもかかわらず、2008年8月の入庫量は前年より500トン以上も多い(ピンク色の部分)。JARPAⅡ・南極海産鯨肉の販売日程の違いを考慮したとしても、およそ200トンないし300トンの開きがある。つまりそれは、「生産によらない入庫増」=「対象外倉庫から対象倉庫への出戻り」が在庫復調の原因だったということに他ならないのではないか。
 今年のJARPNⅡからの帰港先が東京の大井埠頭だったのも、このことと関連がありそうだ。東京は1都市としてのトータルの冷蔵倉庫の収蔵能力が圧倒的に大きいから、ある程度の量の鯨肉を、統計の調査対象(80%)から漏れる倉庫と、調査対象倉庫との間で移転することもしやすい。一時的に隠していた在庫を戻すタイミングとしては、JARPNⅡ分の入荷に紛らせることのできる8月は理想的に違いない。共同船舶と社屋を同じくする鯨食ラボにとっても、倉庫間の移動手配の手間は少なかったであろう。ひょっとして、販促よりそちらの業務のほうが主だったのではなかろうか。
5.水産業界の再編も影響
 <表3>の中で、この他に出庫量が目立って増加しているのは、2006年11月から翌2007年1月までの3ヶ月間である(肌色の部分)。11月にはこの年のJARPNⅡ分(北西太平洋)の鯨肉が各地の中央卸売市場で販売されており、おそらく7月と同様に鯨食ラボが販促を行ったことが一つの要因とも考えられる。だが、奇妙なことに翌年の同じ期間には勢いがまったくなく、前年度比を見ると軒並大きく落ち込んでいる。
 実は、2006年にはもう一点、他年にない事情があった。同年には大手水産商社としての海外展開への懸念から、かつての大手商業捕鯨会社である日本水産とマルハが鯨肉生産から完全に撤退し、所有していた共同船舶の株式を鯨研に譲渡している。これらの元捕鯨会社はいずれも、たとえ今後商業捕鯨が再開されることがあっても再参入することはないと明言している(「商業捕鯨再参入、水産大手3社は否定『いいことない』」6/13 朝日新聞)。
 生産中止にあたって、自社及び関連会社の倉庫に保持していた鯨肉製品の在庫も早々に手放されたはずである。翌年の1月、2月には、入庫量の方も前年の2倍以上に達しており、大規模な倉庫間移動があったものと考えられる。この年JARPAⅡ(南極海)の飛躍的な増産のために膨れ上がった鯨肉在庫の解消に一役買ったのは、実はこれらの水産企業に圧力をかけた、グリーンピースなど国際環境NGOだったのかもしれない。
 <表4>にももう一箇所、イレギュラーな値が示されたところがある。2008年1月の入庫の数字がわずか109トンに留まっているのだ。これは前月の3分の1、対前年同月比だと4分の1以下という極端に小さな数字である(肌色の部分)。翌月の2月も119トンで、同様に前年比3分の1以下となっている。1月の109トンは、過去4年分の統計の中でも、2004年5月の103トンに次いで低い数字だが、こちらはJARPAⅠの水揚のあった翌月で入庫が少なくなるのは当然なので、やはり今年の1月と2月のみが突出して少ないといえる。
 <表2>を見ると、この1月の月末在庫は2832トンと3千トンの大台を切っており、前年末からも前年同月からも大きく数値が下がっている。ただし、出庫量の方も対前年比で半分以下に留まっている。仮にこの時期の在庫の減少が需要増によるものであるなら、間違いなく出庫量も前年同月や前月に比べて増加しているはずである。つまり、出庫量の減少をさらに上回る極端な入庫量の減少が、やはり在庫縮小の原因といえる。この間はマスコミがシーシェパードによる捕鯨船への妨害活動を盛んに報道していたにもかかわらず、販促効果は得られなかったようだ。
 前年比で500トンを超える今年1月、2月の大幅な在庫の落ち込みを説明する方法がふたつある。ひとつ、実は2008年1月の前月月末在庫量は3133トンであるのに対し、2007年12月の月末在庫量は3371トンであり、両者の間には238トンもの大きな食い違いがある。本来なら両者は等しくなるはずである。その違いの理由は、水産物流通統計の性質からきている。統計の調査対象数は、廃業や新設及び休業等により変動することがある。
 大きな変更は主に年(1~12月・官庁の会計年度ではない)が変わるタイミングで行われるようで、統計の結果概要の資料にも、今年1月からは対象数704工場、前年12月までは670工場と記載されている。この両月の間では、水産物全体で在庫量の1.9%、2万3千トンのズレが生じている。鯨肉に関しては、過去4年間で両者に差があったのは6回のみ。今回を除けば2007年8月と9月の間のプラス26トンが最大で、238トンものマイナスというのは前例がない。在庫量との比率では7.6%にも達する。
 在庫の数字を低く見せたい業界関係者としては、まさに天の助けといえるだろう。もし、鯨肉在庫を大量に抱える倉庫業者の倒産が変更の理由だとすれば、喜んでばかりはいられないかもしれない。「水産物統計表」の在庫上位都市のリストでは、2007年12月に281トンで4位を占めていた大阪市が、半分以下の126トンでランク入りした長崎市と入れ替わるようにして、翌1月のリストからは忽然と姿を消してしまっている。ちょうど数量からいっても、該当する冷凍倉庫があったのは大阪かもしれない。
 このことは一方で、年が変わっただけで姿を消す“見えない在庫”が厳然として存在することを教えている。
 年初の在庫急減のもうひとつの要因についてヒントを与えてくれたのは、やはり農水省の統計にある在庫上位都市のリストだった。次に掲げる<表5>は、今年1月から3月にかけての在庫上位都市の順位を示したものである。



 表中の青字は、その都市の在庫がその月に増えたことを意味する。よく見ると、期間中、他の都市とはまったく異なる在庫の動きを示している都市がある。それは釧路市。1月から2月にかけての在庫の減少幅は150トン。実に市の在庫量全体の3分の1を超える。在庫量が倍以上多い1位石巻市の同月の減少幅は80トン、2位の東京も62トンで、3位の釧路市よりずっと少ない。ちなみに、昨年同時期の釧路市の在庫減少幅は、たったの44トンでしかない。一体このとき釧路で何が起こったのだろうか?
 実をいうと、ここにはかつて捕鯨会社でもあった水産企業大手ニチロの工場があり、他の水産物とともに、鯨肉レトルトカレーや都市デパートで扱われた贈答用の大和煮缶詰などを製造していたのである。ところが、ニチロはこの4月にマルハと経営統合してマルハニチロホールディングスとなった。前述のとおり、マルハは海外展開を優先して商業捕鯨・鯨肉販売にタッチしないことを決めている。それに伴って、ニチロの工場でも3月一杯で鯨肉製品の製造販売から撤退したのである。つまり、この数字は旧ニチロが在庫を処分した結果とみてよい。ちなみに、今年9月時点の釧路市の在庫は104トンで、約700トンあった前年同時期に比べ大幅に落ち込み、順位も3位から6位に後退している。
 さらに、釧路市ほどではないが、もうひとつ、在庫量に比べて変動量の大きな都市がある。同じ北海道内の函館市。<表5>の2月から3月にかけてを見てみると、減少量は49トンでやはり在庫量の3分の1以上、2月の順位は6位なのに減少幅では釧路市を超えトップである。ただし、2006年にはJARPNⅡの一次倉庫があったため、在庫自体は前年のほうが多い。函館はニチロの前身である日魯漁業の創業の地で、東京に移転する前の本社の所在地があったことから「ニチロの町」とまで言われている。現在稼働している直営工場はないが、ニチロ食堂や函館国際ホテルなどの関連施設・企業がある。となると、やはりマルハニチロの統合による在庫処理が影響している可能性は捨てきれない。
 大阪、釧路、函館の各地にあった在庫の“消滅”により、統計上の在庫として計上されなくなったのは合わせて400トン以上。今年の初め、まるで鯨肉販売が好調であるかのように在庫が減っていって見えたのは、水産業界の再編など、実は消費者の需要とはまったく関係のない事情によるものだった。そのおかげで、この年の3月には在庫が2368トンにまで下がっている。今年の在庫は最大値とともに最低値も一層低く抑えられ、これが(2)でも示した<グラフ1>の“一見したところの減少傾向”につながっていたのである。
 このように、統計を詳しく読み解いていくと、生産と消費とが乖離した鯨肉市場の特異性が浮き彫りになってくる。

6."在庫偽装"の動機と手口
 これまでの検証をもとに、統計表の数字から疑わしいものを合算した"隠れ在庫"と、公表されている在庫の数字とを比較してみたのが、次の<グラフ3>である。



 グラフの赤色部分は、他の月と異なり昨年と今年で数値がぐっと近づいた8月、9月である。黄色で示した“隠れ在庫”を足した値のほうが、在庫の月次推移は実数よりはるかに自然な曲線を描いていることがおわかりだろう。
 <表1>に示したように、昨年度と今年度のJARPAⅡ及びJARPNⅡによる鯨肉生産量はほぼ等しい。にも関わらず、在庫統計のうえで最大値と最小値を比較すると、最大値が今年の4,209トン(9月)に対し昨年の4,590トン(3月)、最小値が今年の2,368トン(3月)対し昨年の3,161トン(2月)と、最大値は400トン、最小値は800トンも減少して見える。今年の値を9月の最大値ではなく、JARPAⅡ分入荷後のピーク月である5月の3,690トンと置き換えてみると、その差はさらに900トンにまで押し広げられる。
 言い換えれば、今月発表の最新の数値のおかげで、在庫量の最大値の差は半分以上縮まったわけだ。しかし、その900トンのうち、統計調査対象倉庫の入れ替えによる200トン余り、マルハニチロ合併に伴い処理された200トン、変則的な“山”をまたいで一時的に出入りしたとみられる300トン、合わせて少なくとも700トン分は、需要増の結果に基づく減少ではなかったのである。2006年の大手撤退の際にも、無名の会社の倉庫の片隅に移された鯨肉があったろう。
 ここに示したのは、統計表の上で明らかに不自然だと気づくことのできたものだけであり、“隠れ在庫”のほんの一部にすぎないかもしれない。農水省の統計の性質を鑑みても、マスコミ報道された循環取引の事例を見ても、表に見えない“消えた在庫”の量は、実際にはこれよりはるかに多いと思われる。しかし、残念ながら、“真の鯨肉在庫”が一体どれほどの量に及ぶのか、部外者に正確な数字を弾きだす術はない。
 統計調査対象の変更は単なるラッキーで、別に農水省の統計情報部に便宜を図ってもらったわけでもない。もう縁を切ったマルハニチロの合併は知ったこっちゃないし、大和煮缶はバーゲンセールでなんとか売り切ったんじゃないか。4月の南極産鯨肉の入荷時の件は、たまたま手違いと読み違いで倉庫の手配をマズッただけ──。あるいは、そうなのかもしれない。
 在庫の数値を都合よく見せる方に働くそういった幸運(?)が、本当にたまたま重なっただけなのか、それともかなり“狙ってやった”ことだったのか、はっきりと断じることはできない。しかし、少なくとも今月と先月の水産物統計のデータからは、「隠されていた在庫が戻ってきた」という以外に結論のしようがない。まさか、これまでの熱烈な鯨肉ファンが8月のシーシェパードの指名手配に憤り、買った鯨肉製品を一斉に返品して倉庫の在庫が一挙に膨れ上がってしまった……などとは誰も言うまい。
 「共同船舶/鯨研と鯨肉販売流通を手がける流通・小売業界にとってみれば、実際に在庫が減る分には大歓迎だろうが、わざわざ統計操作のような面倒臭い真似を本当にしただろうか? ただ数字を低く見せるためだけに、統計対象外の小さな倉庫を手配してわざわざ運んだり、また戻す作業をするのは面倒なだけではないか? また、なぜ年間のうちの最大値と最小値を低く見せかけることにこだわったのか?」 そう疑問に思われる方もいるだろう。
 まず動機について検証しよう。過剰在庫問題を報じた2月19日の朝日新聞記事「鯨肉さばけぬ悩み」の掲載後に、捕鯨協会より関係筋にある文書が配布された。その中で、捕鯨協会は朝日の記事を「読者のミスリードを招くもの」と指摘した後、「本来注目すべきは鯨肉の在庫量の最低値推移です」と主張している。わざわざ転載したグラフに丸印まで付けて強調するほどである。
 要するに、鯨肉が売れていることを示すためには、捕鯨業界自ら「こっちを見てくれ」と謳い予防線を張った在庫の最低値推移を、なんとしても下げる必要があるわけだ。また、そうは言っても、最大値は在庫の年次動向を知る際の目安として、やはり着目されやすい。仮に在庫を移し変える作業をするなら、やはりこのピークとボトムの月を選ぶだろう。

捕鯨協会発の怪文書
 *捕鯨協会が朝日新聞の記事をまるままコピーして作成した文書

 捕鯨協会の主張に対しては、あと2点ほど補足しておきたい。まず、協会側が朝日記事に対して「統計には小型沿岸捕鯨等の分が含まれるから正しい鯨肉の年間生産量は6千トンではなく8千トンだ」としている点。在庫統計の数値の大部分が調査鯨肉のものとみられることについては、これまで述べた通りである。
 彼らの主張の裏には、鯨肉の年間の入庫量の延べ合計が、最も多い2006年には9千トン近くに上ることが考えられる。調査鯨肉でも生食・塩蔵分は含まれない。沿岸捕鯨分の一部を合わせても、生産量のうち在庫に反映されるのは2006年度でも5千トン台、他の年は5千トンに届かないのではないかと筆者は疑っている。つまり、残りの入庫はすべて倉庫間移動ということだ。鯨肉はおそらく、食品の中でも“在庫の流動率”がきわめて高い食品なのではあるまいか。実際に動いているのか、帳簿の上だけかはいざ知らず。
 そしてもうひとつ。在庫の数字が「普通の企業ではあり得ない」とする大手監査法人公認会計士の指摘(朝日新聞記事)に対する「年2回の入荷しかないから、流通が他の水産物より多く鯨肉の在庫を確保するのは当たり前」という反論について。既にこの時点で、やはり在庫の大半が調査鯨肉であることを白状しているようなものだが、この主張もあまりに強引である。
 企業が在庫を持つ経済合理的な理由は、過当競争時を除けば需給のブレに対応し在庫が払底するのを避けることだけだ。それ以上に在庫を持ってもコストが嵩むばかりである。問題になるのは、むしろ彼らが重要だと唱える最低在庫量と供給量/消費量との比率である。入荷が年に何回だろうと関係ない。在庫の持ち方で、鯨肉と他の水産物との間に大きな隔たりがあるとすれば、やはりおかしい。



 <表6>は、調査鯨肉在庫が最多を記録した2006年の、主な水産物の在庫と年間供給量との関係を調べたものである。在庫量のほうは水産物流通統計から、供給量のほうは、水産物の総計については食糧需給表の概数値から、その他は魚種別漁獲量と輸出入概況をもとに算出してある。統計によって品目の分類表記が異なったり、上位品目しかデータがないものもあり、冷凍・塩蔵、すり身なども合計しているので、多少大まかな数値と思っていただきたい。
 この表で見る限り、在庫量の供給量に対する比率は、加工原料/加工品、輸出入割合の高いもの、季節もの、いずれも水産物全体の値から大きく離れていないことがわかる。スケトウダラが若干高いのは、上で説明した理由による(「捕獲枠削減必至」との報が流れたことによる在庫確保の動き)。
 クジラのみが平均で8割、最低値でも5割を超えるダントツの数字を示している。流通市場における鯨肉の適正な最低在庫量は、水産物における平均の12%(=供給量の1.5ヵ月分)に合わせるなら、2006年の場合およそ700トン。甘くして、スケトウダラと同レベルの30%とするなら1,700トン。同年の在庫は2,900トン弱で、千トン以上オーバーしている。
 2007年/08年の供給水準なら1,200トンあれば十分なはずだが、今年3月の最低値はほぼ倍である。無論、“隠し在庫”は計算に含まれない。本来持たなくていいはずの多量の在庫の維持コストを倉庫会社が負担しなくてはならない鯨肉市場の“特殊事情”とは何であろうか? 明日から1頭もクジラの捕獲が許されなくなる事態でも想定しているのだろうか?
7.需要と在庫の大幅な乖離

 さて、鯨肉在庫を低く装ってマスコミや国民の目を欺くことは、捕鯨関連業界にとって、輸送経費や代行引受先への手数料等のコストをかけるだけの価値はあるだろうか。もっとも、移転先の倉庫の持ち主はおそらく身内に等しい事情に通じた業界関係者であろうし、伝票上の操作だけで済ませて現物はそのまま元の倉庫で埃を被っているという可能性もある。
 水産物流通統計は基本的に“協力者”の自計申告に基づいており、精度については何も保証していない。農水省の担当者が倉庫へ足を運んでいちいち箱を数えるわけではない。仮に虚偽の申告が発覚したとして、法的に罰則が規定されているわけでもない。つまり、誤魔化そうと思えば、かなり簡単にいくらでも誤魔化せるのである。
 実際に在庫操作のための架空取引の存在を示唆する事例がある。今年3月12日、他でもない旧ニチロの元冷凍倉庫所長らが、冷凍庫に豚肉が入っているかのように装って9千万円を騙し取った罪で逮捕された。詐欺被害に遭った食品卸売業者は名義変更の書類等を信じ込み、倉庫へ実際にものを確認しに行くまでの2ヶ月間、まったくわからなかったとのこと。同様の手口で複数の業者が被害に遭い、被害総額は5億円(余談ながら、調査捕鯨に対する政府の補助金と同額‥‥)を超えるとみられる。ニチロ側は「勝手に名前を使われた」とコメントし、この所長を昨年11月に解雇している。

-食品業界の謎…その③ニチロ疑惑に強制捜査(裏の裏は、表…に出せない!)
http://shinshun.blog47.fc2.com/blog-entry-135.html
-ニチロ元社員ら3人再逮捕 架空豚肉取引で1億2000万円詐取(4/12、MSN産経)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080402/crm0804021226006-n1.htm (リンク切れ)

 しかし、この事件は、どこの冷蔵庫に、何が、いつからいつの時点までしまわれているか/あるいはいないかを、当の倉庫を所有する会社も、買ったと思い込んでいた業者も、実にいい加減にしか把握していなかったからこそ起きたといえる。そして、日頃の冷凍倉庫の管理がいかに杜撰に行われているかを如実に示してもいる。ちなみに、冷凍倉庫に“存在したはず”の豚肉は1200トン以上。今年最高値である9月の在庫の3割、最低値の3月の在庫の5割に匹敵する量が、たった何枚かの書類で簡単に偽装できてしまったことになる。
 11月15日、まだ記憶に新しい中国産ウナギの産地偽装の容疑により、販売業者魚秀の役員やマルハニチロホールディングスの子会社である神港魚類の担当課長らが逮捕された。魚秀の役員は報道機関のインタビューに対して「在庫をはきたいという一心で手を染めた」と答えている。消費期限や産地・等級の偽装、農水省地方局職員との癒着も疑われる汚染米事件(事故米転売)などが後を絶たず、今や日本は食文化が根底から崩壊した“食品偽装大国”と化した感もある。
 そうした不正における伝票操作の手口はいずれも似通っている。鯨肉を取り扱っている流通業界としても、別に不正競争防止法などに問われるわけでもない“在庫偽装”くらい、頼み込まれれば嫌とは言わないのではないか。利鞘は稼げないにしろ。何より、調査捕鯨関係者には、一向に減らない在庫を低く見せる必要があるという、確かな動機がある。JARPAⅡ(南極海)の増産計画を立ててしまった以上、発車してしまった以上、今更引っ込みがつかない。販売不振などは国民が許さないだろう──と。
 いや、果たして本当にそうだろうか? 鯨肉の価格は、下げれば赤字が増え、上げたらますます売れなくなるという、深刻なジレンマに陥っている。今はいったん下がったものの、今年は燃料の重油高騰の波をまともにかぶった。鯨研(財団法人日本鯨類研究所)は、同じ水産庁管轄の公益法人である海外漁業協力財団から多額の低利融資を受けているが、要するにこれは国民の税金からの借金に他ならない。本シリーズのはじめ(1)でもお伝えしたように、農水省の水産物統計の最新値が載ったのと同じ11月10日、日経新聞は鯨研・共同船舶が苦境に陥っている事実を伝えた。
 また、11月17日に因島を出港したと見られる今期の調査捕鯨では、辞職した乗組員の代わりに外国籍の船員を雇用するのでは、という情報もある。日本の海運業界で合理化が進むなか、これまでは全日本海員組合の強力な支援を受けて船員を確保してきた共同船舶は、そこまで「背に腹は替えられない」状況にあるということかもしれない。しかし調査捕鯨に“科学”の錦の御旗を掲げているとしたら、認識が甘いのではないか。
 統計に表れてこない大量の鯨肉在庫が、日本全国の冷凍倉庫にたくさん埋もれているという事実を、私たちは念頭に置く必要があるだろう。昨期・2007/08は、シーシェパードの妨害、グリーンピースや豪軍の監視を口実に生産を抑え、いったんは在庫の表向きの数字を減らせたはずだったが、それも元の木阿弥となり、もはや言い訳は利かなくなった。
 今年度以降計画どおり、3500トンほどの調査捕鯨を強行すれば、在庫がまた一気に膨れ上がるのは火を見るより明らかだ。このままでは、古びた鯨肉の箱詰めが日本中の冷凍倉庫を埋め尽くす事態にもなりかねない。



 <グラフ4>は、2005年以降の鯨肉在庫曲線のごく簡単なシミュレーションである。“隠し在庫”を表に晒したケースAが基準。ケースBでは2007年の火災事故と2008年の妨害活動による影響がなく、計画どおり(2006年と同水準)の捕獲を行っていた場合。ケースCでは、さらにそのうえ鯨食ラボによる各年7月の出庫量の異常なピークを取り除いた場合である。事故と妨害と採算度外視の売り込みキャンペーンがなかったら、来年には在庫が1万トンを突破していただろう。それも把握できない“隠し在庫”を除いて。一方、ケースDは、増産をしなかった場合。漸減傾向だが、在庫の適正水準から考えればまだまだ余裕があり、一部の愛好家たちが怒りだすほど需給が逼迫する事態には当分至らないはずである。
 鯨研/共同船舶/水産庁は、そもそも無理のあったJARPAⅡの増産計画-アクシデントによって“助けられ”未達成のままの目標設定(推定:3500トン/1期)を直ちに見直すべきである。鯨肉の過剰在庫の事実と現状認識を、国民に対してまずしっかりと伝えるべきである。そして、科学的なプライオリティと、事業に伴う社会的なコスト - 近隣諸国などとの外交懸案を抱え、食料(食糧)・エネルギーなどの海外依存度も高いこの国にとって、決してゆるがせにできない外交上の得失を含む - を、公正に秤にかけ、なぜ南極海調査捕鯨を”国益”と判断するのか、選択の理由を明示すべきである。
 過剰な鯨肉在庫を抱えながら、国際的な非難にあらがって調査捕鯨を強行する必要は、少なくとも私には見当たらない。日本政府や関係者は、いわば「南極海では、捕鯨ではない形で調査を行おう」などとするオーストラリア環境相の呼びかけなどにも、真摯に耳を傾けるべきだろう。

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