(初出:2009/5)
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捕鯨推進は日本の外交プライオリティ№1!?
──IWC票買い援助外交、その驚愕の実態──
(1)水産ODA──アナクロな札束外交の象徴
(2)捕鯨支持国とそれ以外の国との間で見られる顕著な〝援助格差〟
(3)日本に捕鯨支持という〝踏絵〟を踏まされる開発途上国
(4)捕鯨援助で本当に利益を得ているのは誰か
(5)補足:各捕鯨支持国の解説
(6)セントビンセントのケース
(1)水産ODA──アナクロな札束外交の象徴
■アフリカ諸国関係者が突然千葉の捕鯨会社を訪問
2008年4月8日、地方新聞上で一つのニュースが報じられた。千葉県南房総市をアルジェリア、サントメ・プリンシペ、ブルキナファソ、マリのアフリカ4カ国の関係者が訪れ、市内の沿岸捕鯨事業者、外房捕鯨を視察したのである。
「アフリカから南房総を訪問 捕鯨への理解深める」(4月8日、房日新聞)
いくら何でも、自国の基幹産業の発展や福利厚生施設など社会基盤の整備に役立てるために、この訪問が企画されたわけではあるまい。わざわざ都心から3時間もかかる場所まで、自国とまったく無関係な捕鯨会社の設備を見学しに行くくらいなら、領事館周辺の自治体で参考になるものは、ほかにいくらでもあるはずだ。しかし、記事を見る限り、単に日本の観光名所として立ち寄っただけでもなさそうである。
では、このささやかな外交イベントの意味するところは何か?
この4か国は、鯨類資源の持続的利用に深い理解を示し、将来、国際捕鯨委員会(IWC)に加盟して、わが国の立場を支持してくれることが期待できる友好国。捕鯨文化の発達した南房総エリアを訪問することで、捕鯨への理解を深めてもらおうという。
上記は房日新聞からの引用である。補足すると、マリはすでに2004年IWCに加盟済み。
これら4カ国には捕鯨産業も、鯨類を消費的に利用する伝統的習慣も存在しない。マリとブルキナファソはそもそも内陸国である。にもかかわらず、国際機関に加盟分担金を支払う国政上の必要性があるのだろうか? 一体何が、彼らにそうした選択を促す重要なファクターとなるのか?
答えは日本の政府開発援助、〝ODA〟である。
■日本のODAとIWC票との切っても切れない関係
1年前の2008年3月にも、「鯨類の持続可能な利用に関するセミナー」と題する外務省主催のセミナーが霞ヶ関で開かれ、東アジア・アフリカ・大洋州の計12カ国が参加している。そのうちの1国であるタンザニアは、同年6月にIWCに加盟した。今年も同様のセミナーが開催され、感触のあった4カ国を関係者が和田に招いたのかもしれない。昨年のセミナーでは、GPJが会場前で横断幕を掲げ抗議を行っている。
GPJは一昨年にも、日本の援助によるIWC票買い問題についてメディアに情報を提供した。2006年のIWC年次総会で採択された、商業捕鯨の早期再開を求める《セントキッツ宣言》に賛成票を投じた国々と、日本の水産ODAとの関係を調べたものである。それによれば、1994年から2006年までに総額564億円が、援助の名目で日本の主張を支持した国々に渡っている。また、同2007年5月には、来日したドミニカの元環境大臣アサートン・マーチン氏が東京で講演し、日本のODAが自国に対して経済面を含むさまざまな悪影響をもたらしている現状を訴えた。
「税金564億円で、捕鯨問題“正常化”?」(2007年2月12日、GPJ)
「日本の援助はドミニカの漁業と伝統を破壊している」(2007年5月19日、GPJ、リンク切れ)
「捕鯨支持の値段交渉セミナー?」(2008年3月3日、GPJ、リンク切れ)
「鯨類の持続可能な利用に関するセミナーの概要」(2008年3月6日、外務省)
日本政府が積極的に推し進めるIWCへの〝勧誘〟の実態に関しては、「JAPAN'S "VOTE CONSOLIDATION OPERATION" AT THE INTERNATIONAL WHALING COMMISSION」という英文の小冊子が2006年に発行されている。昨年4月の『AERA』の記事「ナショナリズム煽る水産庁の罪・調査捕鯨担当者の辞表」(2008年4月7日)でも、ODA供与と会費負担を餌に支持票を増やす日本の〝国家贈賄行為〟の概略が紹介されている。最近の動きはウィキペディアの項目4.4「勧奨活動」に詳しい。
「国際捕鯨委員会 4.4勧奨活動」(ウィキペディア)
Vote Buying - Japan's strategy to secure a return to large-scale whaling(グリーンピース)
Will Japan's vote-buying strategy pay off? (WWF)
Japan's "vote consolidation operation" in the International Whaling Commission (IFAW)
ここでも勧奨活動の一部を抜粋しておく。2005年、日本政府がグレナダ政府に対してIWC関連の資金を拠出していたことを示す文書が、同国財務省から発見されたと豪ABC放送が報じた。ソロモンのIWC代表を10年間務めたアルベルト・ワタ氏も、同氏の後任となったネルソン・カイル元水産相も、自国政府のIWC加盟分担金や代表団の旅費等を日本に出してもらっていたと証言している。前述したドミニカのアサートン・マーチン氏は、「新たな植民地主義だ」と日本のやり方を厳しく糾弾している。
グリーンピースやWWF(世界自然保護基金)など多くの環境NGOから〝買収行為〟との謗りを受けてきた〝勧奨活動〟について、水産庁側は「日本の海外援助はインドやアルゼンチンなど反捕鯨国にも行われており、援助のためにIWCで日本の味方をする必要も無いし、反捕鯨政策をとったから援助が無くなるわけでもない」と反論している。
いかにも官僚の作文らしい、実に巧妙な言い回しである。日本の味方をしなくても援助はゼロにはならない。日本がODAを100%捕鯨推進のためにのみ援用する国でもない限り、水産庁の主張は至極当然だろう(そんなことをすれば内外から奇異の目で見られること請合いだが・・)。しかし、日本の捕鯨推進政策を擁護することで、援助の中味が〝並〟から〝上〟に格上げされるというメリットが明らかであれば、水産庁の主張は脆くも崩れ去る。
実際のところ、亀谷博昭元農水政務次官はODAを活用した捕鯨支持国勧奨を明言している。過去にIWCでの交渉を担い続け捕鯨に関する著作も数多い「ミスター捕鯨問題」小松正之政策研究大学院大学教授も、ODAの活用について「何も悪いことはない」と発言し、現在の交渉担当者である森下丈二水産庁参事官も、NGOが暴露した内容の真偽に関しては沈黙を続けている。追及をはぐらかしたり、「ODAを活用して何が悪い」と開き直るのは、もはや言い訳が通らなくなったことを自ら認めた証でもある。
表立って認めていないながらも、IWCで自国に有利な投票をする〝同盟国〟を、日本が援助という手を使って〝リクルート〟していることは、もはや公然の事実である。
では、ODA全体のうち、捕鯨買収の手段として用いられるのはどのくらいなのか? ターゲットとなる国々に共通する特徴はあるだろうか? 援助を武器にした戦略的捕鯨外交は、日本の外交課題の中でどれほどの優先順位を与えられているのか? それは日本国民の目から見て妥当といえるだろうか? 世界の目にはどのように映るだろうか?
ここでは、水産ODAのみならず援助全般における捕鯨支持国とそれ以外の国々との間に見られる際立った格差、そして、それが我々日本国民にとってどのような意味を持つかを探ってみたい。
■水産ODAとは──ODAの中で〝別格〟の存在
その前にまず、水産ODAとは何か説明しておこう。
日本のODAは、有償資金協力(いわゆる円借款)、無償資金協力、技術協力の3種に大別される(これとは別に、出資した国際機関経由や地方自治体による援助もある)。水産ODA:水産無償資金協力は、このうち援助受取国が返済の義務を負わない無償資金協力の中のひとつである。ODAに関する解説は、以下の(財)日本国際協力システム、(財)国際協力協会のホームページに詳しいのでご参照いただきたい。
現在行われている無償資金協力は以下の9種類である。
(1) 一般 (2) テロ対策 (3) 防災・災害復興
(4) コミュニティ開発 (5) 水産 (6) 緊急
(7) 文化 (8) 食糧援助 (9) 貧困農民支援
ここで、読者の皆さんの多くは「おや?」と首をかしげるだろう。「水産無償が独立した大きなくくりになっているのはなぜか?」と。
他の項目が重視されるのはそれとなく理解できる。だが、水産はこれらと同格の扱いを受けるジャンルなのだろうか? であれば、農業援助、林業援助、あるいは環境援助、医療援助、教育援助、通信援助、運輸援助、エネルギー援助といった項目が同列に並んでいたってよくはないか?
実際、これらのカテゴリーは確かにある。一般無償は、一般プロジェクト無償、ノン・プロジェクト無償、草の根・人間の安全保障無償、NGO連携無償、人材育成無償の5つに区分されており、このうちの一般プロジェクト無償の中に、環境、医療・福祉、教育・人づくり、エネルギー、そしてほかならぬ農林業も項目として含まれているのである。草の根無償、NGO連携無償にも農林水産の分野が含まれる。
同じ一次産業である農林業と水産業は、いっそ農林水産業援助としてひとくくりにするほうが自然ではないか? また、環境・教育・医療といった、庶民の感覚からすればはるかに重要と思える項目より、単独の産業分野に限った援助が二つも格上の扱いを受けているのはどういうわけなのか?
ODA白書で数字を比較してみよう。2007年分からはプロジェクト型無償の実績を合算することになり、分野別の数字では一般その他の無償と水産ODAの分を足して"農林・水産"としているため、白書を参照される方はご注意いただきたい。2007年の実績は、水産ODAが約46億円なのに対し、一般プロジェクト無償中の農林分野の合計額は57億円程度とみられる。合計が合わないのは、水産ODA以外のNGO連携などの水産分野の無償が入るためである。2006年度には、水産ODA約46億円に対して農林分野は約52億円。2005年度には約35億円に対して約24億円と、なんと水産ODAのほうが農林分野への援助を10億円以上も上回っていた。
「ODA白書2008年版/日本の国際協力参考資料集 図表28」
「ODA白書2008年版/日本の国際協力参考資料集 図表39、図表40、図表41」
参考までに数字を示すと、日本の農林水産業の産出額全体に占める水産業の比率は16%である。世界では生産額の比較が難しいので就労人口で示すと、農林水産業全体(2005年)で約26億人なのに対し、漁業者(1990年)は約2,700万人である。
「日本の統計:農林水産業生産指数」(総務省統計局)
「世界の統計:農林漁家人口・農林水産業従事者数」(〃、リンク切れ)
「NUMBERS OF FISHERS 1970-1996」(FAO)
他のジャンルの無償援助と比べた場合はどうか。2007年度の一般プロジェクト無償中の環境の合計額はわずか19億円弱、水産無償と同格のはずの文化無償も20億円にすぎない。また、1件当りの供与限度額は、草の根無償やNGO連携無償では原則1千万円、一般文化無償では3億円であるのに対し、水産ODAは供与限度額が設定されておらず、E/N(交換公文)ベースで1件10億円前後の案件がざらである。水産ODAと他の無償援助とでは要件も大きく異なる(詳細は後述)。
このように、数字の上でも明らかに水産ODAに対して大きな重み付けがなされているのがわかる。一体なぜなのか?
ODA白書2008年版の60ページに水産ODAの概要が記されている。審査・決定プロセスの欄には次の一言が記されている。
援助対象国の選定に当たっては、日本との漁業分野における友好関係を考慮している。
つまり、水産ODAは、相手国の漁労人口や産業経済に占める比重、技術水準が選定基準になっているわけではないのである。漁獲対象魚種の生態研究・資源状態把握や漁業管理体制の整備がより遅れている国、乱獲による漁業資源の枯渇が進み持続的利用が困難になりつつある国に対して、優先的に供与される援助ではないのである。「海洋資源の持続的利用」というIWCにおける水産庁の言い分が単なる口実でないのなら、これこそ本来あるべき水産ODAの姿であろうが……。
また、一口に漁業分野といっても間口は広い。そもそも沿岸と沖合、異なる漁法や漁獲対象、あるいは近隣の同業者間などで多くの軋轢を抱え、絶えず調整を必要とするのが水産業の特徴でもある。一体何をもって〝友好度〟を測る物差しとみなすのかが、漁業者の立場からもさっぱり不明である。
財政への直接投入型の援助であるノン・プロジェクト無償と草の根・人間の安全保障無償に「実施した場合の外交的効果などについて検討」とある以外、他の項目ではこうした政治的なニュアンスを含む記述はない。例えば、環境分野における友好関係、教育分野における友好関係、農林業分野における友好関係が対象国の選定・審査基準になることはない。ここまで露骨な表現が使われているのは唯一水産ODAのみである。
言い換えれば、日本のODAの中でもとりわけ政治色が濃いのが水産ODAなのである。そこには歴史的な背景が存在した。
■水産ODAの歴史──目を覆わんばかりのずさんな過去
水産ODAの歴史は古い。その過去の実態を追ってみることにしよう。
以下に紹介する内容は、主に『月報パシフィカ 特集:太平洋への援助、ここが問題だ』(反核パシフィックセンター東京)と『生命の海へ 非核・独立の太平洋ベーシック』(トマ喰い虫社)に基づく。1989年及び1990年の発行だが、現在その多くがIWCで日本を強力に援護している大洋州の島嶼国に対し、水産ODAが当時どのような形で使われていたかが詳細に記されている。
日本から大洋州諸国への二国間援助は、1983年から87年にかけての5年間で3.5倍と飛躍的に伸びた(世界全体の伸び率は1.5倍)。その無償援助のうちの36%を占めていたのが水産ODAである。目的は、「日本の遠洋漁業の権益を守るため」にほかならなかった。
ちょうど水産ODAが創設された1973年は、国連の第二次海洋法会議が開かれ、多くの国が二百海里排他的経済水域(EEZ)を設定していく転機となった年である。その中で、日本は水産ODAを太平洋諸国など海外漁場を有する国々との漁業交渉の切り札として用いたのである。この年、入漁交渉の手段として農水省が10億円の予算要求をして大蔵省(当事)もいったん内諾したが、外交一元化を盾に外務省が割って入り、援助実施に当たっては水産庁に相談するという形で表向きの主導権を握ることになった。こうして誕生したのが水産ODAである。
このころ太平洋諸国は南太平洋漁業機関を設置し、遠洋漁業国に対しては同機関を通じて一律10%の入漁料を支払うよう求めていた。しかし、日本側はそれを受け入れず、各国と個別に交渉して入漁料を4%程度に設定させ、その見返りに政府がODAを供与したのである。
1989年9月17日の毎日新聞の記事には、政府担当者の証言が紹介されている。
「援助額を入漁料の一部と考えてもらうよう相手国に働きかけている。援助を交渉の取引材料として持ち出すことが多い」
援助先は漁業交渉の進展度合いで左右され、入漁できない国へ援助した時には、水産業界から「なぜ援助する必要があるのか」とクレームがついたり、政治家が裏で直接圧力をかけることもあった。漁業交渉が決裂して長期間日本漁船が相手国の二百海里内で操業できない状態が続いた場合、業界団体のトップや役人から援助打ち切りの脅しがかけられた。
交渉の道具だから、大事なのは金額で中味はどうでもよい。相手国の実情、住民のニーズなどお構いなしだ。燃料代や運転・維持コストのことなど何も考えてない。その結果どういうことになったか。
マーシャルの首都マジュロでは、日本が1986年に建てた容量150トンの大型冷凍倉庫が3年以上も空っぽのまま稼働していた。中に転がっていたのはカジキ1尾のみ。1987年にミクロネシアに供与された一本釣り漁船は、2年半も港に係留されたまま。引渡しの際に漁業者への操船講習も満足にされなかったのだから当然である。1981年にベラウに供与されたプレハブ式冷蔵庫や製氷機も多くがストップ。バヌアツでは船を持っていない村に船外機だけが送られ、砂浜で野ざらしにされていたという目も当ててられないケースすらあった。
こうしたあまりにもずさんな援助と引き換えに、日本の遠洋漁船は太平洋島嶼国周辺の漁業資源を大量に収奪していった。現地政府は、漁業振興によってカツオ・マグロなどを日本や欧米などへ輸出できると援助を歓迎したが、皮肉なことに地元住民はそれらの高級魚を口にできず、逆に安価なサバやイワシの缶詰を日本から大量に輸入し、食糧の海外依存度を引き上げる羽目になった。1980年代前半の日本の延縄漁船によるメバチマグロの漁獲量は9割に上るが、地元の漁獲量はわずか1%にすぎない。ソロモンでは、大手捕鯨会社でもあった大洋漁業(現在は水産食品商社としてニチロと統合しマルハニチロホールディングスに)が現地政府と合弁企業ソロモン大洋を設立、ODAで建てられた冷凍施設もちゃっかり使われていた。同国では1970年代から80年代にかけて漁獲量が8、9倍にまで膨れ上がった。餌用の小魚の乱獲を懸念する住民から訴えられたり、収入の分配といった地域社会の伝統的慣習に歪みをもたらすなど、別の問題も引き起こされている。
1993年に公海大型流し網漁を全面禁止する決議が国連で採択されたが、大洋州諸国によって構成される南太平洋フォーラム(SPF、2002年にPIF:太平洋諸島フォーラムに改称)ではこれに先立つ89年、無差別・無責任で破壊的な流し網の即時禁止を求めた《タラワ宣言》が採択されている。海鳥、ウミガメ、鯨類を始めとする野生動物の混獲問題に加え、同諸国のEEZ内に来遊する高度回遊性魚類への悪影響を憂慮したものであった。当事、自国沿岸では禁止していた流し網漁船を大量に送り込んでいた日本の駐フィジー大使が、予防原則の真逆をいく反論と合わせ、「年間7千万ドルもの多額のODAを提供しているのは日本だ」と強調したため、返って国際的な猛反発を生んだ。パプアニューギニアの日刊紙は、社説の中で「Japan
is buying SILENCE from the Pacific islands nations by giving aid」(カネで沈黙を買っている)と痛烈に批判している(1989年7月31日、Post-Courier)。
余談になるが、日本が大洋州諸国に一体何をしてきたか、漁業以外の歴史についても簡単に触れておく。
外務省の資料では、例えばパラオに関して「31年間統治した歴史があり、日本語や日本文化も広く浸透し、極めて親日的」といった紹介の仕方をしている。統治といえば聞こえはいいが、パラオの人々の側から見れば、実際にはこの31年間は植民地としての抑圧の時代にほかならなかった。「日本語が浸透」したのは、伝統文化を否定し日本語と皇民教育を強要したいわゆる同化政策の結果である。ミクロネシア人は台湾人・朝鮮人と異なり、日本国民としての扱いも受けなかった。そして、日本はそれら大洋州諸国を軍事拠点として位置付け、住民たちを戦争の惨禍に巻き込んだのである。ナウル島民は全人口の3分の2に当たる約1,200名が、日本軍の労役に従事させるためにトラック諸島に強制移住させられ、半数近くは生きて島に戻れなかった。徴兵により戦死した若者も多くいたが、日本国籍を持っていなかったため補償はまったく下りなかった。マーシャルなどでは日本軍による虐殺も発生した。軍に接収された自分の畑に入っただけで処刑された住民もいる。
大洋州はまた、米・英・仏の核実験場として翻弄された歴史も持っている。マーシャルのロンゲラップ島の住民をグリーンピースの「虹の戦士号」(後にフランスの諜報機関のテロにより爆破され、カメラマン1名が死亡)が放射能汚染から救ったエピソードは有名である。ほかでもない日本も、小笠原とミクロネシアの間の海域に核廃棄物を投棄する計画を発表し、激しい反対運動の的になったことがある。
過去について何も知らず、水産庁・捕鯨業界から耳に心地よい宣伝文句ばかりを聞かされてきた若い世代の人たちには、決して面白くない話であろう。しかし、水産ODAの負の歴史を抜きにして、日本人が捕鯨問題を語ることはできない。近海や南極の海での乱獲と資源枯渇に対する日本の捕鯨会社・水産行政の責任と同じように。
■そしてODAの現在
ODAはそもそも、開発途上国の経済開発や福祉の向上に寄与することを「主たる目的」としている。当該国の民主化・人権状況や、軍事への転用などに関する制約は設けているものの、援助供与国側の政治的思惑が「主たる目的」となっていいはずはない。国際連合憲章の主権、平等及び内政不干渉の原則に明らかに反するものであり、そのことは日本のODA大綱(2003年改訂)の中にも定められている。特定の国際条約における投票行動を縛るような、国家主権の侵害に相当する行為のためにODAを利用するなど言語道断である。
「政府開発援助(ODA)大綱」(外務省)
現実には、ODAがこれまで政治的に用いられてきた点は否めない。他の欧米先進国、IMF(国際通貨基金)、世界銀行を始めとする国際機関からの援助にも同様の問題はあった。とくに米ソ冷戦時代には、援助でもって味方に引き入れる陣営間の綱引き合戦の一面が強かった。
他方、日本のODAに際立つ特徴として、自国の開発コンサルタント会社、ゼネコン、商社、そして水産業界に〝仕事〟を与える側面が大きかったことが挙げられる。調達先を日本企業に限定するいわゆるタイド援助(ヒモ付き援助)で、競争原理・コスト意識が働かず多額の税金が無駄遣いされた一方、現地の実情を顧みない大規模な開発により、地域住民の生活や貴重な自然環境が破壊されたとして、国際社会で槍玉に挙げられることもしばしばだった。現在ではアンタイド援助が主流となり、日本企業の受注率も下がってはいる。ただし、後述するが、水産ODAは例外である。
ガバナンスの未熟な相手国の官僚・政治家との癒着の問題も取り沙汰されるところである。その典型的な例が、昨年社長を始めとする幹部が逮捕・起訴された、日本のコンサルタント会社最大手パシフィック・コンサルタンツ・インターナショナル(PCI)によるベトナムでのODA事業汚職事件であった。この事件が発覚する以前にも、PCIは開発調査に係る不適正行為を理由に、ODA事業の調達に携わるJICA(独立行政法人国際協力機構)から幾度も指名停止処分を受けている。同社は捕鯨支持国セントクリストファー・ネーヴィスのバセテール漁業複合施設建設(2000年)や、グレナダのメルヴィル・ストリート魚市場建設(1999年)など、水産ODA案件をいくつも手がけている。バセテールの案件でも、基本設計時の経理処理が不適切だったとして約50万円の返還を命じられている。汚職は構造的なもので、PCIの事件は氷山の一角にすぎないとの指摘もある。調達の不透明性に関する問題は、また後ほど詳しく取り上げる。
「ODAの課題」(ODA事業に携わる方の個人ブログ)(リンク切れ)
「【大気圏外】検察はどこへ行く?」(2008年7月8日、JanJan)(リンク切れ)
「悪いのはPCIだけなのか 露見したのはODA構造汚職の一端だ」(2008年8月12日、AERA)
ODAが非民主的な独裁政権や賄賂を要求する腐敗した役人の懐を肥やすばかりで、貧困・格差対策の方は遅々として進まず、借金ばかりが膨れ上がっていくという国も多い。1999年に開かれたケルン・サミットでは、重い債務に苦しむ国々に対する債務救済措置が合意されたが、場外では「回収不能な焦げ付き部分のみ帳消しにして借金を引き続き背負わせるだけで、先進国のまやかしにすぎない」との批判の声も上がった。
透明性や効率性の向上など多くの課題があるODAの手法を見直す動きもある。すべてのドナー(援助を提供する先進国と国際機関)と被援助国政府、NGOなどが緊密に連携し、個々の援助プロジェクトの整合・調和を図るセクターワイドアプローチ(SWAPs)や、被援助国の主体性をより重視した財政支援などである。2005年にパリで開かれた援助の質に関する国際フォーラムでは、①自助努力、②政策協調、③援助の調和化、④開発成果管理、⑤相互説明責任の5項目をまとめた《パリ宣言》が発表された。
昨今の日本では、対中援助に対する批判や、苦しい財政事情から減額を求める圧力のもと、国益を前面に打ち出すことをためらわない風潮も見受けられる。相手国・市民が本当に必要としている援助なのかどうか、十分な検証もないまま、成果を挙げられなかった場合の都合のいい〝口実〟として「自助努力」という言葉が用いられることも多い。これはしかし、ODAのあり方としては世界の流れに逆行するものだろう。
そうした中で、水産ODAこそは、昔日のODAの体質が最も色濃く残された化石的存在といっていい。
日本の〝捕鯨援助〟に関する詳細は、次回以降で述べることにする。
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