(初出:2011/5/27 JANJAN NEWS)
ストロンチウム汚染を「正しく怖れる」ために
週刊現代、週刊文春などの週刊誌メディアが、ストロンチウムの危険性をことさらに書き立てている。確かに、重大な事故後もなお原発推進を唱え続ける御用マスコミも多い中では、告発サイドに立つ威勢のいい反骨報道を目にすると、市民としてもつい拍手喝采を送りたい気分になる。
はたして、日本政府は本当に恐るべき汚染の実態を覆い隠すために悪辣な隠蔽工作を働いているのだろうか?
東電・日本政府は、「無用の混乱を避ける」との理由で、国民に与える情報を最小限に留めようとしているのではないか──いま誰しもそう感じていることだろう。ただ、個々のデータの開示のされ方については、なぜその情報がなかなか出てこないのか、背景にある〝事情〟と〝動機〟についても、注意深く見ていく必要がある。
まず事実として、放射性ヨウ素(I141)、放射性セシウム(Cs134、Cs137)などの核種に比べると、ストロンチウムに関して公表された情報量は圧倒的に少なく、水質や土壌のデータがやっとわずかに出てきた程度である。現在のところ、食品に関するデータは発表されていない。確かに、これでは国民に疑念を抱かれるのも無理からぬことだろう。
では、放射性ストロンチウム(Sr89、Sr90)は、本当にそれほどヤバイのか? 詳細は文献を各自ご参照いただきたいが、ストロンチウムの放射性同位体のうちとくにSr90については、物理的半減期が29年、生物学的半減期がおよそ50年ときわめて長く、生物の組織の中では骨に蓄積しやすいという特徴がある。一度でも体内に摂り込めばほとんど減らないと聞けば、誰もが心配になるだろう。骨に溜まると聞けば、とくに成長期のお子さんや妊婦の方は「母乳や牛乳は大丈夫なのか」と不安を覚えるだろう。
だが、放射線による健康影響について勧告を行う専門家組織である国際放射線防護委員会(ICRP)では、これらの点にもちろん留意したうえで各種の指針を提供している。内部被曝による人体への健康リスクを評価するうえで用いられるのは預託実効線量だが、核種に応じて係数が定められている。この係数は、生物学的半減期についても、身体の組織毎の感受性(例:ヨウ素なら甲状腺、ストロンチウムなら骨等)、年齢による感受性の差についても、考慮したうえで算出されている。この係数を用いれば、1万ベクレル(Bq:放射性物質が放射線を出す能力を表す単位)のCs137を経口摂取した際の実効線量は0.13ミリシーベルト(mSv:放射線による人体への影響度合を表す単位)であり、同じく1万BqのSr90を経口摂取した際の実効線量は0.28mSvである(妊婦以外の成人の場合)。水や土壌等の環境や、食品中の放射性物質の規制値として、各国政府が定めている値も、ICRPの出した基準に基づいている。なお、数字には国によって差があるが、主に国民一人当たりの平均年間摂取量などの違いによる(ただし、それでも全体的に日本が甘すぎるという異論はある)。
BqやSvの値に還元してしまうと、骨に蓄積しやすいといった〝性質の違い〟が見過ごされる点は注意が必要だが、危険性の指標となるのはあくまでもこれらの数字である。0.13、0.28という数値を比べたうえで、ストロンチウムの危険性を〝数字以上に〟過大評価することは、セシウム等他の核種の危険性を過小評価することに他ならない。Sr90は汚染が長期化し影響が後発的に顕在化するという意味で厄介な核種だが、短期間に集中的に強い放射線に曝されることになるI131やCs134の方がより危険だという見方も成り立つ。「ストロンチウムの方が〝ヨウ素やセシウムより怖い〟」とは一概に言えないのだ。
セシウムとストロンチウムの炉内での比率は同程度だが、Sr90は融点・沸点が高く揮発性は低いため外部には出にくい。チェルノブイリの事故では外部に放出されたストロンチウムの割合はセシウムの1割程度と推定されている。福島第一原発2号機タービン建屋地下のたまり水のデータでは、Sr90の対Cs137比は5%程度となっている。魚類への濃縮係数はセシウムの100倍に対してストロンチウムでは3倍である。骨だけ見れば25倍だが、問題になるのは可食部の重量比なので、「可食されるのが骨だけ」という特殊なケースを想定しない限り、25倍という数字を気にする必要はない。汚染の現況から判断すれば、例えば魚に由来するSr90による内部被曝の危険度はCs137の百分の1ないし千分の1のオーダーと見ていい。
危険性がある程度低いのであれば、なぜストロンチウムに関するモニタリングデータが一向に開示されてこないのか。この件について厚生労働省は、食品中の放射性物質のモニタリングについて、「食品を流通させながら検査するので迅速性が必要、1、2週間かかる検査はしない」との立場を示している。
γ核種のヨウ素やセシウムと異なり、γ線を放出しないβ核種のSr90、Sr89の放射性ストロンチウムの測定は比較にならないほどハードルが高い。Sr90とSr89の両方を特定できるのはイオン交換法と発煙硝酸法だが、発煙硝酸法は危険で取扱に細心の注意を要し、イオン交換法は魚(全体)のように妨害元素となるカルシウムが多い試料には向かない。分析の過程で、化学畑でない素人には放射能に劣らず危険な塩酸、硝酸、王水、臭酸等の試薬を用い、途中放射平衡が確立するまで2週間から一ヶ月放置しなければならない。最終的には娘核種のイットリウムのβ線を高感度の計数器で測定し、分光分析により抽出率を求めたうえで定量化するという、実に煩雑極まりない測定法しかないのだ。一方、Cs137なら数時間で済むため、試料を採取してから一両日のうちに結果が判明する。なお、液体シンチレーションカウンタを用いた迅速分析法では、測定期間を3分の1ないし5分の1ほどに短縮できるようだが、牛乳等の液体試料は測定できず、検出できる精度が灰試料にして40mBq/gなので、kg当りで同程度の精度がある他の分析法よりかなり落ちてしまう。
2週間以内に定量的な測定結果を出すことは物理的に不可能なのだ。市場で流通している食品の検査をやろうにも、生鮮食品の場合結果が判明するまで待つことも不可能だ。万一何らかの数字が出たとしても、とっくに消費者の腹の中で手遅れということになってしまう。これが、厚労省がストロンチウムの検査を〝やりたがらない〟理由である。
もう一点、今回の福島第一原発事故を受け、各検査機関はパンク状態にある。中央水産研究所の放射能調査グループは、休日返上で日夜作業に追われているとのこと。東電の汚染水データなども手がけた財団法人日本分析センターは、各種環境指標のモニタリングの結果を年間数百件程度公表しており、ストロンチウムも中に含まれる。今回の事故では、それぞれの機関が数日で年間の処理件数を上回る膨大な検査依頼を国・各自治体からいっぺんに引き受けている勘定だ。農水省では一次補正の中で1億3300万円を、検査機関を対象にした放射能測定機器の整備支援事業に充てたが、高額の機器・試薬等の資材の調達もさることながら、何より不足しているのは資格を有し測定手順をきちんと理解した熟練した検査員の手であることは間違いない。Srの検査担当者もIとCsの測定作業に駆りだされているだろう。福島原発の現場作業員ではないが、そうした有資格者は一朝一夕にして数倍の人数を補充できるわけではない。
実は、現行の食品安全委員会の定める暫定規制値の中で、放射性ストロンチウムについても一応考慮はされているのだ。詳細は一番上の参考リンクをチェックしていただきたい。計算式と前提となるパラメータを見れば、ストロンチウムについてはセシウム以上に「かなり安全側に立って」算出されていることがわかる。
そうはいっても、環境・生物圏におけるストロンチウムの挙動が理論に従うとは限らない。セシウムと必ずリンクするわけでもない。政府の事情はわかる。だが、放射性ストロンチウムのモニタリングは絶対に必要だ。
EUなど諸外国では、ストロンチウムも計測対象となっている。日本は国民の健康を軽視しているのではないか。あるいは、一次産業・流通業界の損失回避を優先させているのではないか──そうした批判は可能だろう。しかし、「お上にすがる一方で、何かあるとお上の所為にしたがる」国民性の問題もあえて指摘しておきたい。実際、上記のマスコミの反応のほか、市民の間でも事情を鑑みずに「時間がかかるのはおかしい」と政府を責める声がちらほら聞かれる。仮に万一規制値を上回るストロンチウムの値が出た場合、不可避だったにもかかわらず、食品が出回ってから発表が「2週間遅れ」になったことを、あなたは非難しないだろうか? 「数回食べただけでは直ちに健康被害は出ない」という〝言い訳〟に耳を貸すだろうか? そうした事態を回避すべく〝事前準備規制値〟などという二重基準を設けたとしても、結果は同じことだろう。だとすれば、政府がストロンチウムの計測に二の足を踏むのも当然ではないのか。国民の科学リテラシーを侮ってもらっても困るが、期待しすぎればしっぺ返しがあることも霞ヶ関はわかっている。
では、一体どうすればいいのだろうか?
国際的な環境保護団体の手で、政府に渋々でも重い腰を上げさせる、やらざるを得なくなる状況に追い込むキャンペーンを打つことも一興だろう。だが、市民の「欲する情報を欲する形で」となると、シーシェパードと紙一重になりかねない。政府・東電への憤懣をぶつけたい層のウケ狙いではなく、伝えられるべき事実を、丁寧に伝えていくことが必要になってくる。
もちろん、日本政府がモニタリング結果の公表にあたって、セシウムやヨウ素とストロンチウムとの違いを国民が十分に理解できるように懇切丁寧な解説に努めるなら、民間団体の不十分なデモンストレーション的調査も不要となる。とはいえ、「平易な説明」は不可能に近い。あるいは、「〝悪者〟の所為で仕方なくやる羽目になった」という形に持っていくのが、当の霞ヶ関も含めて誰にとっても最善の道といえるかもしれない。
どのような形であれ、日本政府が放射性ストロンチウムのモニタリングにきちんと着手するまでの間、妊婦や成長期のお子さんを抱える家庭には、乳製品、シラス等の小魚、煮干等の水産乾物類、ナマコ、ワカメ等褐藻類、桜エビ(甲殻類は濃縮係数が際立って高い)などの食品の摂取・産地確認に細心の注意を払うよう推奨しておきたい。
もう一点、食品中の暫定規制値はもともとスリーマイルやチェルノブイリ事故などで汚染された海外からの輸入食品を念頭に設定されたものだ。国内の原発事故では、大気・土壌・降水等環境全体が放射能に汚染され、国民はそこでの生活を余儀なくされる中、食品以外にもさまざまな形で外部被曝・内部被曝を受けることになる。核種によらず、トータルで見た場合に現在の規制値が本当に妥当かどうか、検証を重ねていく必要がある。
参考リンク:
-「基準値の根拠を追う:放射性セシウムの暫定規制値のケース」
http://www.aist-riss.jp/main/modules/column/atsuo-kishimoto010.html
-「魚を骨ごと食べたときに、心配なのはセシウム。ストロンチウムじゃないよ」
http://katukawa.com/?p=4449
-「放射能測定法シリーズ」
http://www.kankyo-hoshano.go.jp/series/pdf_series_index.html
-「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e-img/2r98520000015cfn.pdf
-「放射能測定用海洋試料採取・計測の基本推奨方法」
http://am6.jp/ipRhmA
-「国際環境NGOグリーンピースによる 海洋調査 結果」
http://www.greenpeace.org/japan/Global/japan/pdf/20110526_MarineResearchpresentation.pdf
-「放射性ストロンチウムの内部被曝について」
http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07
-「ストロンチウム知見とりまとめ(案)-食品安全委員会」
http://www.fsc.go.jp/fsciis/attachedFile/download?retrievalId=kai20110525so1&fileId=150