(初出:2008/2)
学校教育とクジラ
~こどもたちの〝脳みそベーコン化〟を防ぐために~
毎年開かれるIWCのマスコミにおける扱いも年を追うごとに小さくなりました。それだけ世間の関心が低くなったことを示しているのでしょう。政府・業界も躍起になっているようですが、やはりいちばん困るのは子供を採り込もうとという動きです。鯨研や官製NPOによる出張講義にも困ったものですが、いちばん恐ろしいのはやはり学校給食です。アレルギーの問題が端緒となって、いまでは親と子供自身の裁量がだいぶ認められるようになってきましたが、依然として政策の道具として給食が利用されている実態には、寒気を覚えます(給食についてはこちらも参照)。
捕鯨問題はまた、中高生のクラスでディベートの演習問題として取り上げられる最もポピュラーなテーマの一つとなっているようです。その中には、あまりにも信じがたいケースもありました。教師は自ら選定した捕鯨関係者の資料を生徒に配布し、直接その関係者を何人も呼んで子供たちの前で時間をとって講義させ、そのような授業を一年の間繰り返した結果、始めは半々に分かれていた子供たちの捕鯨に対する賛否の意見が(ごく自然なことですが)、その一年が終わる頃には捕鯨擁護一色に染まっていたというのです……。あろうことにも、その教師は洗脳の"成果"を嬉々として書籍やテレビ番組で紹介までしているのです。筆者はその話を聞いたとき、まるで戦前の忠君教育を目の当たりにするようで、本当に背筋に震えが走りました。こどもがアクセスする情報の量と質に、教師のほうで操作を加えて格差を生じさせる──そんなものがまともなディベートであるはずがありません。
こうした"洗脳教育"が行われているのは、学校の現場だけに限りません。
80年代のことですが、「マンガなるほど物語」というタイトルの、アニメと実写混合の子供向け番組がTBSで放映されました。クジラがテーマになった回では、反捕鯨団体がなんと黒づくめのマフィアの姿で描かれ、最後にはお姉さんが人形と一緒に「クジラ料理屋に美味しい鯨肉を食べに行こう♪」と言って出かけていくというオチ(?)まで・・。最終回に主人公が敵に刺されて"殉死"するという、○ッキーマウスをパクッたアルカイダの子供向け番組がありましたが、まさにそのノリですね・・・・。開いた口が塞がらないとはこのことです。
しかし、テレビアニメ、マンガ、ゲーム、ライトノベルといった作品の多くで、捕鯨擁護派の主張をそのままの形で採り入れた"食文化論"をチラリと挟み込むことが、実際に行われています。その手口は、業界がもともと捕鯨ヒーキの素質がある急進派(例えば漫画家でいえば、某グルメ漫画の作家や少年誌の長期連載記録作家など)に手ほどきして宣教師役を務めさせ、他の同業者を集めさせて親睦会(鯨肉パーティー……ニュートラル・親鯨派の作家にも声がかかったウソみたいなホントの話)を開催するなどし、シンパを増殖させていくというもの。このようにして、子供たちに対して大きな影響力を持つ文化人やマスコミ関係者を抱きこみ、彼ら自身がメディアを武器として活用し、こどもたちへの広報キャンペーンを率先して買って出ているのです。なんともしたたかで巧妙なやり口という他ありません。子供たちが直接手にとる媒体を通じた、実に効果的な"刷り込み"です。あるいは、刷り込みの連鎖というべきか・・。
教育とメディアを通じた世論操作の試みは、何も捕鯨に限ったことではありません。前首相などもいろいろ大胆に推進しようとしていましたし・・。アルカイダやアフリカの紛争地域のゲリラの若者に対する"教育"は、偏向した情報のみを与えて組織に都合のいい"ニンゲン兵器"に仕立てる刷り込みの極致といえます。捕鯨推進はアプリオリに"正シイ"ことだから、「目的のためには手段など選ばなくていい」ということなのでしょうか。その発想はまさしくテロリスト(極右極左問わず)のそれと寸分の違いもありません。
なるほど、世論を巧みに誘導したのは反捕鯨国・団体のほうだという捕鯨擁護派もいるでしょう。南極の野生動物に関する情報と、南極の自然とまったく無関係な一国の食文化の情報とを公平に扱うのは、当の国以外ではかなり難しいことだとは思いますが・・。仮にそうだとしても、「自分たちもアンフェアな手口でやり返すんだ」ってのはどんなもんでしょうね? 実際のところ、捕鯨業界がPRコンサルタントを手配して練ったプロパガンダ戦略は、「やられたらやり返す」式の情報戦争という位置付けで立てられたものには違いありません。しかし、それではいつまでたっても、「ウシを殺してるんだからクジラも殺すんだ」「アングロサクソンもクジラを乱獲した」といった後ろ向きのアルカイダ思考から一歩も脱け出せないのでは? 筆者は相手が一方的な情報操作をしているからといって、真似すんのはいやだニャ。。。
与えられる情報を一方的に鵜呑みにするだけの子供に育ってしまえば、大人になっても他人の意見や周囲のムードに流される人間になるでしょう。空気を読むことばかりに汲々とするKY型ニンゲンに(空気を読むなとは言わないけど・・)。企業のコマーシャルに踊らされ、ブロガーのコメントに右往左往し、知人に進められるまま票を投じ、テレビや大新聞の報じることだけが世の中の真実だと思い込みような・・。そうした傾向のとくに強いヒトは、用意された"場"で洗脳を施されれば、カリスマに踊らされるカルト信者やテロ組織の手先にさえ、あっという間に早変わりしてしまうでしょう。戦前の日本やドイツのように、お上に言われるままに人殺しまでやってのける全体主義国家の"部品"と化す危険さえあります。何が正しいのかを自分の頭で考える"免疫力"や他者への共感力を、こどものうちに身に付けさせない限り……。
- 子供たちが自ら主体的に情報を収集する能力を養う。
- 子供たちが自分自身で考え、判断する力を培う。
- 世の中には多様な考え方、価値観があることを知り、他者の価値観を尊重できる人間に育てる。
それは、教育者の立場にある者が、最も重視すべきことの一つではないでしょうか。こどもたちを一人一人の人間として尊重するのではなく、大人が用意した"枠"にはめ、自分たちの利益のために同じ価値観を持つ分身を増殖させるというのでなければ。
相手側の情報を隠し、自分たちの情報・自分たちの主張だけを押し付ける。そればかりでなく、自分たちの側に都合のいいように、相手側の情報に勝手な脚色を施して与えようとする。筆者はそんなアンフェアなやり方は絶対にとりたくはありません。たとえ、結果としてこどもたちの何人かが捕鯨に賛成する結論に達したとしても。このサイトでは、子供向けのコンテンツも用意し、環境教育に関するポータルにもリンクしてもらっていますが、同時に捕鯨業界の偏向した"ポータル"サイトにもこちらからわざわざ一方的にリンクを張っています。こどもたちには、両方の情報に等しく接したうえで、必ず自分自身で判断して欲しいと願っているからです。
双方の主張に耳を傾けさせたうえで、最終的に何が正しいのかは、子供たち/市民自身の頭(理性)と心(感性)に委ねる──それこそが本物の教育/当たり前の民主主義の手続きなのではないでしょうか?
筆者が学生の時分は、「原発は是か非か」「ヒトラーは悪か」といったテーマでこどもたちに喧喧囂囂の議論をさせたうえ、教師自身は結論を出しませんでした。当時は疑問を抱くこともあったものの、"正しい答え"を決して押し付けなかった教師に今は感謝しています。一方で、ディベートの本質とはかけ離れた"詰め込み教育"を受けさせられたこどもたちには、同情を禁じ得ません。2chラーの多くに代表される、複眼的なものの見方ができなくなったイマドキの若者たちは、きっとこういうこどもたちの中から育ったんだろうニャ~。