〝実質ゼロ〟日本人の鯨肉消費の実態
2008年6月4日、調査捕鯨の〝副産物〟である鯨肉の都道府県別推計消費量の調査結果が共同船舶から発表され、共同通信を介して地方紙に掲載されました。それによれば、全国平均は50gとのこと。
■1位長崎、上位に旧拠点地/調査捕鯨の鯨肉推計消費量 (2008/6/4,四国新聞)
販売店に対する聞き取り調査で消費の絶対量ではありませんが、発表元が当の共同船舶ですし、さんざん宣伝してあの手この手で売り込みを図っても〝この数字がやっと〟と見ることもできます。ですから、水産庁も「鯨食文化が根強く残っている地域がある」という、日本の食文化から地域の食文化への格下げを容認する発言をせざるを得ないのでしょう。
みなさんはこの全国平均50gという数字、多いと感じますか? 少ないと感じますか?
ここでちょっと簡単な計算をしてみることにしましょう。例えば、竜田揚げのような最もメジャーな鯨肉料理で、1人1食当りの鯨肉消費は75g程度となります。ということは、1人年間2/3食? ・・なわけないですね。仮に、1年のうちに鯨肉料理を1食食べる人(75g)と、まったく食べない人(0g)の2通りだったとすると、2:1、3人に2人が年間1食くらい食べる人で、残りの3人に1人は1年の間に1度も鯨肉を食べない人ということになります。
では、少なくとも年に1食は食べている人の方が割合としては多いということ? いいえ。それは鯨肉を食べている日本人全員が、年1回のみ竜田揚げを食べている場合ですね。竜田揚げでなくステーキにすれば、1食当りの鯨肉消費は100gないし120gというところ(大食漢のヒトは200gくらいペロリとたいらげちゃうんでしょうが・・)。年1食鯨ステーキを食べる人は、すでに平均的な日本人の倍以上食べていることになります。また、地域別データでみると、トップの長崎は177g、2位の宮城は163gですから、県民だけの平均で年に2食か3食ということになるわけです。「クジラを食って何が悪い!」と吠えてる人たちが、年1食きりで我慢するのも不自然な気がします。在庫だって十分あるのですし・・。
そこで、1年のうちに鯨肉料理を3食(225g)食べる人と、まったく食べない人(0g)の2通りいると仮定したらどうなるでしょうか? すると、両者の比率は1:3.5で大きく逆転します。1年に平均3食程度の鯨肉を食べる人が9人に2人、残りの9人に7人は1年を通してまったく鯨肉を食べない人というわけです。次に、鯨を食べる人の平均間隔が月1回(年12回)のケースを考えてみましょう。一部の学校では、自分の意志と無関係に給食でこのくらい無理やり食べさせられているこどももいるようですし・・。すると、その割合は1:17となり、鯨肉を食べる人が18人に1人の割合、残りの18人中17人は年に1回も鯨肉を食べていないわけです。
しかし、ネット掲示板を眺めまわしてみると、年に数えるほどで我慢するどころか、毎週のように鯨料理屋に足を運ぶと自慢げに報告している人が大勢いるようです。太地の人々は水銀に汚染されようがどうしようが「毎日食べてる」と言い張っており、実際地元のイルカ漁と沿岸捕鯨分を除いた調査鯨肉だけで、なんと1人当り平均約10kgも消費しています(2/19,朝日)。3日に1回以上は食べているわけですね。そして、共同船舶の一部ベテラン船員は、彼らの言い分によれば、お土産で私的に消費する分が20kg・・・。
今度は少々複雑になりますが、A:まったく食べない人、B:年に3食食べる人、C:週に1食(年50食)食べる人の3つの層を想定し、BとCの割合を4:1に設定して計算してみることにしましょう。そうすると、Aが84人、Bが4人、Cが1人となります。鯨をごくたまに食べる人が大体22人に1人、鯨をかなり頻繁に食べる人は90人に1人ということに。合わせてもベジ人口より少なそう・・。日本の伝統的な菜食文化普及のための広報には、税金を1円も使ってもらっていないのに。
鯨肉を年1食でも食べる人がある程度の比率を占めていたなら、それだけでまず平均値は75g以上になるでしょう。ここで、消費量が最低(流通ゼロの沖縄除く)の三重を見てみると、年平均2.8gと驚くほど低い数字です。鯨肉を食べる人が年1食だけしか食べないと仮定してさえ、26:1、27人に1人しかいないことになります。実際には間違いなくもっと少なくなるでしょう。平均3食モデルだと80人に1人、月1モデルだと320人に1人しか鯨肉を食べる人はおらず、残りの三重県民はまったく食べていないわけですね。マスコミ報道ではワーストは1位しかとりあげていませんが、三重県には別に鯨肉を敬遠する特殊事情があるわけではありません(太地のある和歌山の隣ですし・・)。つまり、三重県と同水準の消費しかない県が多数あり、長崎や宮城など一部地域の突出が全国平均を大きく引き上げていると考えていいでしょう。もう一つには、人口、高額所得者、鯨肉料理を出す高級料亭の集中する東京が、おそらく全国平均に近いためと思われます。要するに、日本人の圧倒的多数は、年に一度も鯨肉を食べていないということです。これは上掲の水産庁のコメントからも裏付けられます。
※ 補足:なお、この共同船舶による市場調査は、小売・仲売を対象にしており、ネット販売その他で遠方の顧客に発送するケースなどを考慮していないとのこと。必ずしも消費者の居住地を正確に反映しているとはいえないようです。三重県が最低値なのは、県内で鯨肉を販売している店が非常に少ないことによると思われ、消費量はおそらくもうちょっと高いでしょう。逆に、特定の消費地以外の平均値は、もっと低く均されると考えられます。
統計や平均といった格式ばった用語に、私たちはしばしば惑わされがちですが、数字の意味するところを注意深く見極める必要があります。統計上の数字というものは、知識さえあれば見せたい側に都合のよい形にいかようにでも料理できるものです。厚労省による後期高齢者医療制度のモデル世帯の恣意的なサンプリングなどは、まさにその典型といえるでしょう。クロミンククジラの個体数を始め、捕鯨賛成の論拠も、ほとんどこの手のデータの権威付け、数字のトリックによるものに他なりません。
〝平均値〟をそのまま受け取ることの危うさを示す代表的な例として、国民の平均所得や年収差がよく取り上げられます。一握りの高額所得者がいれば、それだけで平均値は大きく押し上げられますから、庶民の目には実態とは大きくかけ離れているように映るわけです。平均値は、その値を中心にある程度きれいな正規分布曲線を描いているケースにのみ有効な指標です。極端に違う層に大きく分かれている場合などは、あまり意味をなしません。所得の例でいえば、中央値(中間値、メディアン)を採用したほうがより現実に即した〝平均の値〟となるわけです。鯨肉消費量も、圧倒的多数の消費量ゼロの人、少数のたまに食べる人、極めて少数の多食する人の層があると考えられ、その意味では所得の分布に近いと思われます。中央値をとってみれば、間違いなくゼロになるでしょうが……。
上の表も筆者が単純化したモデルにすぎず、消費の実態そのものとはいえません。Aは鯨肉食人口の比率としては多すぎ、Cは少なすぎると思われます。3層モデルにした場合、ごくたまに食べるヒトと頻繁に食べるヒトは、一方が多ければ他方が少なくなる関係にあり、それがどの程度の比率かは、実際に調べてみないことにはわかりません。ただ、平均値だけとってみても、まったく食べない人が多数派を占めることは否定しようのない事実です。共同通信報道で公表されたのはベスト5とワースト2のみのため、全都道府県のデータが揃えばもう少しパターンが見えてくるかもしれません。日本人の鯨肉消費の真の実態を把握するためには、消費者レベルで「年に何回鯨肉を食べるか」という頻度についての詳細なアンケートをとる必要があるでしょう。そうすれば、5人に1人くらいの割合で、ごくたまに鯨肉を食べる人が薄く広がっているのか、それとも、月1ないし週1程度鯨肉料理をつつきに行く、ほんの一握りの層がほぼ全需要を引き受けているのか、正確な傾向が見えてくるでしょう。共同船舶・水産庁側にとっては、怖くてとても聞けないかもしれませんが……。
捕鯨業界は毎年のように膨れ上がる鯨肉在庫の超過に頭を痛めています。そこで在庫解消のために、企画会社の鯨食ラボ立ち上げを始め、国の全面的なバックアップのもと大々的な普及キャンペーンを張りました。それでもなお、過剰在庫問題を解決するには至りませんでした。一方、調査捕鯨のコストを副産物販売益で賄うという建前上、操業経費に見合わない安値を付けることはできません。商業捕鯨だろうと、国策調査捕鯨だろうと、それは出来ない相談です。また、海外漁業協力財団や儲かる漁業補助金などの形で、国に対して多額の借金を繰り返してきました。本来ならそれらは国に返済しなくてはならず、その意味でも収益を度外視した安値を付けることは許されないはずなのです。
価格を上げれば需要がますます落ち、さりとて、値下げしてもたいして需要が伸びずに借金が膨らむだけ──という深刻なジレンマに、いま彼らは直面しているのです。
鯨肉は、適正価格が存在しない、奇妙な商品です。健全な市場経済の原理がまったく機能しないのです。安いイメージと高いイメージが同居しており、そのどちらもが適切な市場原理によって形成されたものではありませんでした。一方は、規制が有効に機能しなかった乱獲時代の、社会事情によりGHQと国がやむなく国民に食べさせた、安くてまずい一時しのぎの蛋白源。他方は、世界の厳しい目が光る中、やはり国の管理で行われる科学研究の〝副産物〟にほかならず、調査費用捻出のために売却される建前ながら、その実態は業界の広報活動にまんまと乗せられた一部の愛好家が求める究極のグルメ──。
捕鯨擁護派からは、今回発表された鯨肉の消費量が不自然だとの主張も聞かれますが、過年度在庫が発生している事実は供給不足による需要抑制という憶測を完全に否定しています。むしろ、他の食品に比べ著しく過大な在庫を抱えているために、非常識な販促によって不自然に需要を水増ししてきたのが実情です(詳細はこちら)。現実が自分たちの願望に沿ってないからといって、データを否定しても始まりません。
ひとつ、はっきりさせておかなければならないことがあります。水産庁/鯨研側は、過去の乱獲の事実を認め、二度と過ちを繰り返さないことを誓っているわけです。〝新しい捕鯨〟はRMP/RMSのもと、厳しい規制と監視の下で粛々と実施されるべきものです。捕獲数、供給量を大乱獲時代に戻すことは決して許されません。操業コストもかつての比ではありません。すなわち、鯨肉の価格は今後も決して下がらず、高級嗜好品としての位置付けも変わりようがないのです。言い換えれば、国の支援もなく、ごく限られた市場をめぐって自由競争を余儀なくされる商業捕鯨を復活させるくらいなら、現行の調査捕鯨のスタイルを続行するほうが、捕鯨サークルにとってはむしろ得策といえるわけです。
「うまい鯨肉を昔の安い値段で」というのは、ネット右翼のはかない幻想でしかありません。「昔に戻ることはありません」「〝新しい捕鯨〟は少量の高価な鯨肉しか供給できません」ということを、マスコミを通じて国民に対して正直に、口を酸っぱくして伝えることは、日本にとって自分たちの主張の正しさを世界に認めさせる絶対必要な最低条件のはず。「過ちを繰り返せ」といわんばかりの無知なネット右翼をだまらせることもできず、内と外とで違う顔を見せて二枚舌を使うのであれば、世界はもう日本を二度と信用せず、南極からの撤退は必然でしょう。
とはいえ・・100g1,300円、部位によってはその10倍もする超高級肉である以上、捕鯨関係者から譲り受けることのできる特殊なポジションにあるか、高級料亭の敷居をまたげる財布の持ち主でない限り、庶民の手には届きません。そんな大枚はたいてわざわざ食べるほどの魅力も感じない──というのが、一般の日本人の感覚でしょう。たとえこの先捕鯨が続けられたとしても。そして、美食家の舌を満足させるために、税金を払わされ、世界から白い目で見られることに、誰もが疑問を抱くようになるでしょう。
財政的にも、国策としての理由付けの上でも、高くても安くても困る──本物の伝統文化であったならあり得ないそんな泥沼に、捕鯨ニッポンは自らはまり込んでしまったのです──。
7年後の2015年、日本の鯨肉消費はさらに落ち込み、1人当たり30gに。竜田揚げ定食で換算すると、1人当たり年間2/5食ということに。
■日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか(2016/2/6,BBC)
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35529672
さらに、将来商業捕鯨が再開できたと仮定した場合、消費できる南極産鯨肉の人口1人当たり消費量についても試算しました。その数字は22g。
ついでに、上掲の2015年及び商業捕鯨再開を仮定した場合の鯨肉食人口比を、千人当り何人が食べ(られ)る人で、何人が食べ(られ? or たく?)ない人か、わかりやすく数字で示したのが、こちらの2つの表。下の表の地域別消費量は、共同通信記事の比を当てはめたもの。
さて・・みなさんは、国民10人のうち1人に年に3回、あるいは50人のうち1人に月1回、南極産鯨肉竜田揚げ定食を食べさせるために(他の人は年に一口も口にしない/できない・・すなわち〝ゼロ〟)、世界中に嫌われながら毎年50億円もの税金をつぎ込むのが、その使い道として正しいことだと思いますか──?
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