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捕鯨論説・小説・絵本のサイト/クジラを食べたかったネコ

── 日本発の捕鯨問題情報サイト ──

(初出:2002/5)

人種差別とクジラ

 これまでにも、捕鯨擁護派からはさまざまな突拍子もない主張が飛び出してきました。例えば「ベトナム戦争」陰謀説。これは1972年の国連人間環境会議の場で商業捕鯨全面禁止が決議されたことを指して、米国がベトナムで行われていた枯葉剤散布などの環境犯罪から目を逸らすためにでっち上げたものだとする主張です。なるほど、確かに当時の米国政府にしてみれば、他の環境問題にスポットが当たったことは好都合だったかもしれません(トピックはその時点で注目されていたなら、熱帯林破壊でもオゾン層破壊でもよかったでしょうが)。反戦運動の担い手であった市民の主導する反捕鯨運動を支持することで、批判を和らげる意味もあったでしょう。
 しかし、その後当の米国内では、ごまかされたハズの市民のベトナム反戦の声はやむことなく、ニクソン政権が失脚し泥沼の戦争から撤退しておよそ30年、知識人・メディアによって"過ち"が繰り返し検証され続け、ベトナムとの関係も修復された中、商業捕鯨に対する米国の政策は一貫して変わりませんでした。捕鯨擁護派はいったいこの事実をどう説明するつもりなのでしょう? 米国は未だにベトナム戦争から世界の目を逸らそうと目論み続けているのでしょうか?? あるいは、結局その目的を果たせず"敗北"した後もなおクジラへの恩義に報いようとしているのでしょうか?? なんと律儀な国家でしょう! 引っ込みがつかなくなったとか?? 合衆国とっくに亡んでますね。。市民は未だに政府の捏造説に乗せられて騙され続けているのでしょうか?? アメリカ人は頭が悪いといっていますか!? もし米国が捕鯨擁護論者の想定するような国であったなら、クジラなどよりむしろ、未だに真珠湾攻撃を根にもって日本を"悪の枢軸"扱いしていたって不思議はないでしょうね。。
 付け加えるなら、日本はベトナム戦争当時、同盟国として米国を影から支援し、特需の恩恵も受けました。ベトナムへ向かう途中に沖縄近海で水爆を搭載した艦載機が沈没した空母タイコンデロガが、補給のために横須賀を経由しており、日本の非核政策の虚偽を明らかにしたこともよく知られています。それでも、国内では日本が果たした役割について真剣に議論されたとはいえません。捕鯨擁護派のいうとおりであれば、日本はきっと米国の共犯者として、戦争への加担から目を逸らすために演出を買って出たのに違いありませんね。。反戦運動をタメにするつもりでないのなら、業界・水産庁は湾岸戦争やアフガン・イラク空爆に際して米国の意のままの政府に、諸手を挙げて抵抗を示すのがスジだったのではないでしょうか・・?

 「陰謀説」以上に突飛なのが反捕鯨「人種差別説」です。「頭がよいから殺すな、というのはナチズムに通じる差別主義だ」というのですが・・ナチズムへの解答は「頭がよいものも殺せ!」なのですか?? クジラがウシを差別しているのですか?? 「殺すのをやめることが"差別"であり、好きなときに好きなものを好きなように殺せ"なくてはならない"のが"平等"」なのでしょうか??? 答えはこどもだったらすぐに判ると思います。
 動物と差別の問題について、もし真剣に論じるつもりがあるのならなら──確かに、ヒトはウシともクジラともたいして類縁関係の離れていない哺乳綱霊長目の1種であり、ゲノムで見ればマウスやクジラと毛ほども違いませんが──バイオ・エシックスのテーマとして徹底的に掘り下げてみるのも一興でしょう。オススメの参考文献として、オーストラリアの倫理学者ピーター・シンガーの著作『動物の解放』(技術と人間)を挙げておきたいと思います。動物の倫理問題に関し、情緒を排した哲学的・論理学的アプローチによる洞察に徹した本書は、捕鯨擁護派にとって頼もしいバイブルとなってくれるはずです(捕鯨信奉者がファンダメンタリストの集団ならとりつくシマもないけれど)。まあ"常識"の観点からいえば、人種・民族・思想・信条等による人間の間での差別の問題を、動物の取り扱いの問題に適用することが如何にバカげているかという一語だけで、それ以上の説明は要りませんね..
 こうしたナンセンスな議論がまかり通るのは、日本人の論理性の欠如と同時に差別問題への無理解をも示しているといえます。日本国内の名だたる著名人・言論人が多数この論法を無批判に受け入れているのは残念なことです。これは日本の知識人層のレベルが低い──というよりも、「たかがクジラ」だから深く掘り下げることもせず、欧米に反感を抱いている人はそのまま頷いてしまうのでしょう。しかし、「たかが動物」、「たかが環境」と蔑んで合理的思考を放棄してしまうのでは、やはり日本のレベルが問われてもやむをえないのではないでしょうか。

 「クジラを殺したい」「クジラを食べたい」「クジラが嫌い」あるいは「動物は保護しなくていい」「環境は守らなくていい」という主張なら、素直で正直な立場であるという意味では、こうした世論を煽るための非合理な屁理屈よりはまだマシでしょう。ネコは聞くたびにジンマシンが出ます(--;; 昨今は人権・平和・民主主義といったテーマにも侮蔑の意が込められ、シニカルな目で眺められるご時世のようですが、どうせなら殺しを正当化する論法に常に疑いの眼差しを持ちたいものです。
 ちなみに、ネコはクジラが特に頭がよいとは思っていません("頭のよさ"の定義はよくわかりませんが…魚食量だとしたらクジラは確かにそうかも?)。利他行動は野生動物に広く見受けられますし、クジラの歌は鳥のさえずりとそれほど大きな違いはないものと思われます(こちらも参照)。


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