「鯨類科学調査を安定的かつ継続的に実施するための基本的な方針(案)」に関する意見
2018年5月23日
水産庁資源管理部国際課捕鯨室 御中
案件番号:550002675
意見:
事実に反したり、重大な誤解を招く記述が多数含まれており、また、国民の多様な意見が反映されていないため、当該方針の発表は見送るべきである。
理由:
1 水産庁資料「鯨類科学調査を安定的かつ継続的に実施するための基本的な方針(案)」(以下、〈基本方針案〉)「第一 鯨類科学調査の意義に関する事項」PDF2ページ目2段落目、「十九世紀から二十世紀半ばまで、鯨油採取を始めとする大規模な産業目的で世界的に鯨類資源が乱獲されていたが、昭和二十三年(千九百四十八年)以降、鯨族の適当な保存を図って捕鯨産業の秩序のある発展を可能にすることを目的として設立された国際捕鯨委員会(以下「IWC」という。)の下で、科学的根拠に基づき商業捕鯨の捕獲枠が管理されてきた。」(全文引用)について
「いたが、」との接続詞を用いた上記の記述は「乱獲が行われたのは20世紀半ばまでで、1948年以降は科学的に管理され乱獲はない」との趣旨であり、完全に事実に反している。
日本政府すら半世紀以上絶滅危惧種の状態を脱していないことを認めているシロナガスクジラの捕獲禁止はようやく1960年代のことであり、日本を含む捕鯨産業による乱獲が1948年以降のIWC管理下でも続いていたことは否定の余地がない。
IWCの捕獲規制は1970年代までBWU(シロナガス換算)制に基づいていたが、このBWU制は科学的根拠に基づいてなどおらず、乱獲を助長したことが明らかである。
さらに、近年米国海洋大気局(NOAA)が発表したとおり、捕獲統計の数字を大幅に修正せざるを得ないほど悪質な規制違反が、主に後発商業捕鯨国の旧ソ連と日本によって行われていたことが明らかになっている。
商業捕鯨モラトリアムが成立した背景には、IWCの規制が科学的に不十分で常に後手に回ったうえに、密漁・密輸の横行や加盟国の脱法行為等の社会的要因により規制が有名無実化し、実効性を担保できていなかった事実がある。
ところが、「しかしながら、」(引用)で続く〈基本方針案〉第一項3、4段落目は、20世紀後半以降も鯨類の科学的管理は失敗続きに終わっていた事実に触れられておらず、近年まで続いた乱獲や悪質な規制違反(ICJに国際法違反と認定されたJARPAⅡ・第二期南極海鯨類捕獲調査を含む)に対する責任を認め、真摯に反省する姿勢もうかがえない。
〈基本方針案〉「第一 鯨類科学調査の意義に関する事項」は、最後の段落で「このような背景の下」(引用)と結ばれている。鯨類科学調査(以下〈調査捕鯨〉)の実施がかくも事実に反する〝背景〟の下で行われるとすれば、仮に商業捕鯨再開が認められた場合、日本は同じ過ちを繰り返すのではないかとの強い疑念を抱かざるを得ない。
2 〈基本方針案〉「第一 鯨類科学調査の意義に関する事項」PDF3ページ目5段落目、「鯨種や系群による資源状況の差異にかかわらず一律に商業捕鯨を全面的に認めないという考え方は、科学的根拠に基づくものではない。さらに、このような極端な考え方を広く適用すれば、鯨類以外の多くの海洋生物資源の利用も否定されることに繋がりかねない。これらの観点から、我が国は、一部の鯨種や系群については十分な資源が存在することがIWCでも認められており、全面的モラトリアムには科学的根拠が欠けているとの理由で、当該附表の採択に異議申立てを行ったが、その後、当時の国際情勢等を踏まえて、異議申立てを撤回し、昭和六十三年(千九百八十八年)以降、商業捕鯨を中断している。」(全文引用)について
前述のとおり、上記の1文目はモラトリアム導入の経緯に対する無理解である。「鯨種や系群による資源状況の差異」(引用)の把握のみでは管理に失敗したのが近代捕鯨の史実である。捕鯨業界は、相対的に問題ないとされた鯨種を捕獲しながら絶滅危惧種をさらに追い詰め、あるいは非合法の密漁に直接間接に関与してきた。上記の表現で終わっていること自体、過去の過ちから何も学んでいないことの現われである。
「科学的根拠に基づく」(引用)および「科学的根拠が欠けている」(引用)とは、同〈基本方針案〉4段落目に見られる、IWC科学委員会という限られた場の、鯨類資源学という自然科学の特定の1領域の、1970年代の議論を指すと考えられる。そこには社会科学、あるいは、モラトリアム以降急速に発達した保全生態学(多様性保全や非消費的な生態系サービスの見地、気候変動の影響の考慮等)のような資源学以外の自然科学の立場は反映されていない。
付け加えれば、(特定の1分野の)自然科学に一義的な決定権があるとし、社会科学的根拠や科学以外の価値判断の要素を否定するのは傲慢である。原子力を社会がエネルギーとして利用するかどうか、原子力工学・核物理学の専門家にすべて一任せよというに等しい。
近代捕鯨の乱獲・規制違反の特性と社会的背景を踏まえれば、モラトリアムの導入は必ずしも「極端な考え方」(引用)とはいえない。乱獲により激減した鯨種の代替種として1970年代より日本の南極海商業捕鯨の標的となったクロミンククジラは、国際的に合意された目視調査による推定生息数の推移から、国際自然保護連合(IUCN)レッドリストにおけるCR(絶滅危惧ⅠA類)に相当する大幅な減少が示されており、また、気候変動に対して特に脆弱であることも世界自然保護基金(WWF)や研究者によって指摘されている。
上掲段落中には「さらに、このような極端な考え方を広く適用すれば、鯨類以外の多くの海洋生物資源の利用も否定されることに繋がりかねない」(引用)とのあまりにも驚くべき表現が用いられている。これはまったくの事実無根である。なぜなら、IWCでモラトリアムを支持している米国・オーストラリア・ニュージーランド等の主要な反捕鯨国は、いずれも漁業および水産物消費が盛んな漁業先進国にほかならず、持続的水産資源管理において明らかに日本より先行しているからだ。
その一方で、こうした事大主義・誇大妄想的な先入観とは別に、日本の水産業はまさに「多くの海洋生物資源の利用も否定」(引用)されかねない深刻な事態に直面している。ABC資源評価対象魚種のおよそ半数は長年低位のまま改善の傾向が見られない。ニホンウナギはIUCN・環境省レッドリストのいずれにおいてもEN(絶滅危惧ⅠB類)に指定され、研究者や自然保護団体が警鐘を鳴らしているにもかかわらず、未だに巷では消費を煽る広告があふれている。国連食糧農業機関(FAO)の漁業白書では、北西太平洋の漁業資源の乱獲がトピックとして扱われ、周辺海域の10年後の漁業生産予測において日本のみが大幅な減少を示す結果となっている。世界に悪い手本を示す持続的漁業の〝落第生〟と化している有様である。
しかし、水産庁は、海外諸国に倣ってIQ/ITQ等実効性のある規制の導入に踏み切るどころか、持続的利用の大原則が否定されている惨状を放置しているようにしか見えない。水産資源管理・調査全体の予算は年間たったの46億円で、海面漁業生産の1%に満たない捕鯨産業への対策予算51億円を下回っている。伝統食・資源の保護より刹那的な換金を優先する「極端な考え方」が蔓延している状況を、指をくわえて黙認しているに等しい。
つまるところ、〈基本方針案〉が掲げる「原則」とは、決して「持続的利用」などではなく、「持続的だろうが非持続的だろうがともかく利用する」でしかないのは明白だ。日本の水産業の現状と水産庁自身の無策から国民の目を逸らすために、〝スケープゴート〟としてクジラと海外の反捕鯨団体を利用しているとしか考えられない。自ら襟を正すことなく、国連海洋法条約やボン条約(日本は未加盟)のもとで国際管理が求められる公海・南極海の移動性野生動物に対し、「ともかく利用」の身勝手な原則を押し付けることは、日本の国際的信用を著しく傷つけるものだ。
「捕鯨を認めさせないと今食卓に上っている魚が全部食べられなくなる」かのごとき水産庁の暴論は矛盾に満ちている。日本の全漁獲量のうちおよそ8割は18種の魚で占められている。日本周辺に生息する魚類は判明しているだけでおよそ4,000種とされるが、実際に利用されているのはそのうち1割未満にすぎない。また、バイオマスや増加率に対する未利用資源の割合、すなわち持続的利用の余地が残されている度合は、捕鯨対象の大型鯨類以外の海産生物種の方が圧倒的に多い。「ともかく利用」の原則も結局守られてなどいないのだ。一貫性のかけらもない水産庁の〝原則主義〟は、単に「外国人に反対されるのが癪だ」という子供じみた感情論から来ているとしか考えられない。
水産庁の〈基本方針案〉に記された事大主義・誇大妄想的発想に対しては、むしろ逆の意味において、国民として強い危惧を覚えざるをえない。
日本には古来から野鳥を狩猟し、食したり、自然から切り離し籠に閉じ込めて鳥同士の歌を競わせる(啼き合わせ)という伝統文化が存在した。野鳥は「捕る、食う、飼う」ための資源でしかないという見方が当たり前であった。かすみ網は明治以降に導入されたノルウェー式近代捕鯨より歴史が古く、莫大な初期投資が必要なうえロシア進出への対抗といった政治的事情もあった近代捕鯨事業とは異なり、庶民に根付いた伝統的狩猟法でもあった。規制のきっかけは捕鯨産業と同様乱獲であり、GHQがそれを憂慮したことである。以降、日本野鳥の会創始者の中西悟堂らの尽力により国内法が制定され、その後も「動物愛護や環境保護などの運動の高まり」(〈基本方針案〉より引用)を受ける形で規制は強化されてきている。一方で、捕鯨産業と同じく伝統を口実にした反発・抵抗があったり、今日でもなお伝統に固執する勢力による密猟が後を断たないのも事実である。
かすみ網の主な捕獲対象種であるツグミや、啼き合わせの主な対象となるメジロやウグイスは、いずれもIUCNレッドリストの基準においては低懸念種(LC)とされる。つまり、かすみ網や啼き合わせを、資源状況の差にかかわらず一律に全面的に禁止とする国内法には、絶滅危惧種のナガスクジラやイワシクジラ、未認定ながら絶滅が強く危惧されるクロミンククジラやミンククジラ黄海-東シナ海-日本海系群(J系群)を対象とする商業捕鯨の一時停止以上に、〈基本方針案〉に示されるところの「科学的根拠」がないことになる。野鳥に対する日本人の価値観の変化は、水産庁〈基本方針案〉に従うなら「極端な考え方」そのものといえる。ちなみに、かすみ網禁止といっても捕鯨同様例外はあり、科学調査による使用は特別に許可される。ただし、調査捕鯨と異なり非致死調査が対象であり、禁止の原則は捕鯨以上に厳格である。
上記のとおり、資源として殺す・捕獲するという伝統文化は日本自身の法律により禁止・否定されたものの、野にいる野鳥を愛で、観察する文化が新たに生まれ、国民に広く受け入れられ、定着するに至った。海外の価値観の影響を強く受け、殺す形での資源利用は確かに否定されたが、野鳥と日本人とのつながりは発展的に引き継がれた。自ら生かす文化を選択し、そのことによってより多くの国民が大きな豊かさを享受しているのだ。また、水産庁のいうところの「科学的根拠に基づかない」かすみ網や啼き合わせの禁止により、陸上生物資源の利用のすべてまでが否定されたわけではない。反捕鯨国で持続的漁業がまったく否定されてなどいないのと同様に。
野鳥と鯨類には、国境を越えて移動するため、一国のみの独断に委ねず国際的合意のもとで管理する必要があるという、非常に大きな共通点がある。
事大主義・誇大妄想的な水産庁・調査捕鯨利権関係者独自の価値観を公海・南極海にまで強引に押し付けるやり方を、仮に鯨類と同じく国際管理が必須の渡り鳥に対して適用したとしたら、一体どういうことになるであろうか?
出水で手厚く保護されているナベヅルの生息数はミンククジラJ系群と同水準で、飛来数は増加傾向にある。伊豆沼やウトナイ湖等全国各地で自治体がサンクチュアリとして飛来地を指定しているオオハクチョウの北半球の推定生息数は18万羽である。それらの野鳥の保護は、水産庁が主張するのと同じ意味においては「科学的根拠に基づくものではない」(引用)が、各条例によって捕獲は原則禁止されている。
だからといって、「極端な考え方」はけしからん、「生物資源の利用が否定されることに繋がりかねない」として、日本のEEZ上を出た途端にそれらの野鳥を商業目的で撃ち殺したり、あるいは商業捕獲できるかどうか見極めるために必要だと称して捕殺調査を強行する国は、世界のどこにも存在しない。それに相当する行為を、赤道を越えて南半球に押しかけてまでやってしまっているのが日本である。まさに〝世界の恥〟というほかはない。
庭に訪れるメジロや地域で観察できる猛禽との出会いを楽しみにしている一日本国民としては、オーストラリア・ニュージーランドをはじめとする南半球諸国の人々を自分の国が悲しませていることに対し、大変申し訳なく恥ずかしい気持ちで一杯になる。
のみならず、〈基本方針案〉の内容はまさに鳥獣保護法の〝改悪〟、かすみ網や啼き合わせの正当化・合法化に「繋がりかねない」(引用)。もし、反捕鯨国が持続的漁業の〝敵〟ならば、水産庁はまさしく野鳥の〝敵〟にほかならない。
根拠のない猜疑心に基づく表現はばっさり削除すべきである。
3 〈基本方針案〉「第一 鯨類科学調査の意義に関する事項」PDF3ページ目6段目、「その一方で、附表10(e)の規定は、『この10(e)の規定は最良の科学的助言に基づいて検討されるものとし、委員会は、遅くとも千九百九十年までに、同規定の鯨資源に与える影響につき包括的評価を行うとともに、この(e)の規定の修正及び他の捕獲頭数の設定につき検討する』としている。実際に、IWCは、平成六年(千九百九十四年)に商業捕鯨のための持続的な捕獲量を算出する手法(改訂管理方式(RMP))に合意した。しかし、その後現在に至るまで、IWCにおける政治的対立が原因で、附表10(e)の規定に基づき当該手法を実際に適用して捕獲頭数を設定することは行われておらず、IWCの設立目的である鯨類資源の持続的利用が図られていない状況にある。」について
上記の記述には巧妙なすり替えとも受け取れる重大な誤りがある。附表10(e)の規定は「設定する」ではなく「設定につき検討する」である。検討の結果、設定を見送ることは国際法上何一つ問題はない。実際には、机上の科学に基づく規制では阻止できなかった社会的要因による密猟や規制違反を防止するために不可欠な改訂管理体制(RMS)について、IWCでの合意は得られていない。上記は「RMSの合意は必要ない」との趣旨とも受け取れ、1で指摘した史実の無理解と合わせ、水産庁の姿勢には強い懸念を覚える。
4 〈基本方針案〉「第一 鯨類科学調査の意義に関する事項」PDF4ページ目7段落目、「このような背景の下、我が国は、科学的根拠に基づいて海洋生物資源を持続的に利用するとの原則に則り、商業捕鯨の早期再開を目指しているところである。この目標に向け、附表10(e)に規定されているとおり、商業捕鯨モラトリアムを解除して適切な捕獲頭数を設定するための科学的情報を収集するため、鯨類科学調査を実施するものである。」(全文引用)について
この段落の記述には2点、きわめて重大な問題点がある。
〈基本方針案〉「第一」を要約すれば、鯨類科学調査(以後〈調査捕鯨〉)の意義とは「『鯨類資源の持続的利用のための』商業捕鯨早期再開のため」ということになる。しかし、「〈調査捕鯨〉を実施すれば、商業捕鯨の早期再開への道が開ける」ことが、上記の背景の記載ではまったく説明できていない。それどころか、前段落では日本の商業捕鯨再開を阻んでいるのが「政治的対立」(引用)であると書かれている。つまり、本当に商業捕鯨を早期に再開するために必要なのは、政治的対立を解消するための政治的努力である。
実際には、この政治的対立の具体的中身は、前述のとおり、すでに確立したRMPではなく、RMSをめぐる議論である。日本の立場は、「RMPはやっぱり未完成だった」としていったん国際合意を破棄・返上するというものではないはずだ。〈調査捕鯨〉の主目的はRMPの精緻化だが、そもそもRMPに関しては〈基本方針案〉に書かれているとおりすでに国際合意が得られているため、商業捕鯨再開を目指すという趣旨からいえば、RMPの数字を弄り回したところで何一つ役に立たない。国際社会の要請を無視した強行は、むしろ政治的対立を深めるだけで逆効果である。反捕鯨国の懸念に配慮し、保全側にRMPのハードルを高める調整を行う趣旨であれば、まだ理解を得られる可能性もあろう。しかし、4つのうち1つで絶滅リスクがさらに上がるシミュレーション結果が出てもなお捕獲枠を上乗せできると解釈するようなやり方では、ますます強い反発を招くばかりだ。
「政治的対立」(引用)によって商業捕鯨が再開できないのに、その政治的対立を解消するどころかさらに煽ることで、一体どうして商業捕鯨を再開できるのか。
第二に、「附表10(e)に規定されているとおり」(引用)とあるが、肝心な事実について説明がない。日本はその「附表10(e)」に違反したことがICJにより判示されたのである。
ICJ判決については、続く「第三 第二の目標を達成するために必要な鯨類科学調査の実施に関する基本的事項」の一(PDF5ページ目)でも「判決の趣旨を踏まえる」(引用)としているが、そのためには、なぜ「附表10(e)」の規定に違反してしまったのかの分析・省察が不可欠である。なぜなら、ICJ判決が出るまで、日本は違法なJARPAⅡを「附表10(e)に規定されているとおり」(引用)の附表10(e)の規定に反しない調査捕鯨だと主張してきたからである。
違法性の重要な根拠としてICJが採用したのは、本川一善元水産庁長官による「ミンククジラの刺身は味と香りがいい(中略)したがって、ミンククジラを安定的に供給していくためにはやはり南氷洋での調査捕鯨が必要だった」との2012年の国会答弁であった(ICJ判決文パラグラフ197)。それ故、違法なJARPAⅡとは異なり、現行の〈調査捕鯨〉は「うまい刺身の安定供給」ではないと立証しなければならない。商業捕鯨の早期再開を阻んでいる政治的対立を解消するうえでも、国際司法の場で白黒をはっきりさせ、国際社会の疑念を払拭すべきだ。「遵守する」(引用)の一言では、「つい最近までその国際約束を遵守できなかった」という厳然たる事実は決して消えはしない。
また、ICJ判決は「国際捕鯨取締条約8条に基づく調査捕鯨が科学目的か否かは当該国の認識のみに委ねることはできない」とした(ICJ判決文パラグラフ61)。ところが、〈基本方針案〉では〈調査捕鯨〉の目的が国際法上妥当かどうかを当該国すなわち日本以外の国・国際機関に仰ぐ必要性について、一言も書かれていない。「判決の趣旨を踏まえる」(引用)としながら、当該国のみで目的を定め、妥当性を判断している。つまり、〈基本方針案〉そのものが判決を無視する日本の姿勢をさらけ出してしまっている。
5 〈基本方針案〉「第三第二の目標を達成するために必要な鯨類科学調査の実施に関する基本的事項」の一、PDF6ページ目、「鯨類科学調査の計画策定及び実施に当たっては、平成二十六年(二千十四年)の国際司法裁判所(ICJ)の判決の趣旨を踏まえるとともに、我が国が締結した条約その他の国際約束及び確立された国際法規並びに法令を遵守する。」について
ICJ判決に関しては前記4のとおり。
「我が国が締結した条約その他の国際約束及び確立された国際法規並びに法令を遵守する」との記述が事実上の空文と化していることを強く憂慮する。
昨年の「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」(ワシントン条約:CITES)常設委員会において、象牙問題と合わせて日本の北西太平洋鯨類科学調査(NEWREP-NP)沖合調査によるイワシクジラの公海からの持込の違法性が遡上に上り、多額の援助と引き換えにIWCで日本を支持しているはずのアフリカ諸国を含め、日本は非難の集中砲火を浴びた。結論は専門家調査団による調査結果を踏まえ次年度(今年)に持ち越されることになったものの、商業取引を防ぐための措置など何も取られずイワシクジラ鯨肉のパックが普通に市販されている現状を鑑みれば、CITESの規則に抵触することはもはや火を見るより明らかだ。日本政府代表によるCITES常設委員会の場での釈明は、「国際捕鯨取締条約で認められている」の一点張りで、まったく別個の国際条約であるCITES規則に照らしてなぜ合法なのかの説明は一切なかった。
にもかかわらず、まさに本パブコメ公募中の5/17に、イワシクジラ捕獲を目的とする沖合い調査捕鯨船団の出港が報じられた。舌の根も乾かぬうちにとはこのことである。
また、遵守すべき中に「法令」(引用)とあるが、この〈基本方針案〉および「法」自体が他のいくつもの法令に背いている。
〈基本方針案〉には「国際協調」および「保全」の文字がなく、「政治的対立」(引用)をものともせずに自国の方針を貫く趣旨と受け止められる。これは海洋の開発および利用について「国際協調の下」で「海洋環境の保全との調和」を図りながら進めることを謳った海洋基本法および生物多様性への配慮を求める生物多様性基本法の趣旨に反している。
さらに、「動物の愛護および管理に関する法律」(動物愛護法)第41条において、動物を科学上の利用に供する場合の「代替」「削減」「苦痛の軽減」、いわゆる〝3R〟の検討が求められているが、「法」は最初から致死的手法の採用を前提としている。「法」自体が動物愛護法に真っ向から反している。〈基本方針案〉では「第三 第二の目標を達成するために必要な鯨類科学調査の実施に関する基本的事項」の三において「科学的な合理性に照らして」(引用)および「適切に組み合わせる」(引用)との表現が用いられているが、〝合理性〟〝適切〟の定義、具体的な判断基準、誰が判断するのかについて何も記されていない。いずれにしても、「法令順守」を掲げるなら、動物愛護法に基づく致死的手法の代替・削減・苦痛の軽減の検討を明記すべきである。
6 「第五妨害行為の防止及び妨害行為への対応に関する基本的事項」PDF6ページ目について
具体的にどれほどの国費が拠出されているのか、経費に対する実効性等の情報が国民に対して詳らかにされておらず、抜本的な対策も何も示されてない。
妨害活動を行ってきた過激な反捕鯨団体に対して市民の寄付が集まったり、反捕鯨国が取締に消極的な理由のひとつは、国際法に違反しながら、国際社会に対して謝罪・反省する姿勢が日本にうかがえないことが挙げられる。もうひとつは、〈調査捕鯨〉を南半球・南極海で行っていることへの強い反発である。前述のとおり、オーストラリアやニュージーランド等南半球諸国の人々にとって、日本が彼らの了解を得ずに捕獲しているのは、自国のEEZや南極海サンクチュアリ(日本にとっての北方領土・尖閣諸島・竹島・あるいは沖ノ鳥島と同じく国際法上は議論があるものの、オーストラリア政府および市民にとっては日本にとっての北方領土・尖閣諸島・竹島・あるいは沖ノ鳥島と同じく固有の領土/領海であるところの)を回遊する、日本人にとってのツルやハクチョウと同様かけがえのない非消費的文化の対象である。日本政府は調査海域を科学的理由ではなく政治的理由で恣意的に選定し、豪州の南極海サンクチュアリとは裏腹に北方領土周辺海域では調査捕鯨を実施しない。オーストラリア人が納得いかないのはあまりにも当たり前の話であろう。
日本の調査捕鯨船団が南極海以外で反捕鯨団体の船舶による妨害の実力行使を蒙ったことはなく、調査海域を北半球に限定するだけでも、莫大な税金の無駄遣いは不必要になり、海上保安庁は本来求められる業務に専念することができるはずだ。
また、日本国内ではウナギからナマコに至るまで、持続的漁業の担い手たる漁業者の脅威となる密漁が後を断たない。水産資源の持続的利用の原則を脅かす程度において、反社会的集団による悪質な密漁は、反捕鯨団体のパフォーマンスの比ではないはずだ。
水産資源管理・調査全体の予算を捕鯨対策予算が上回っていることは、水産業のヒエラルキーの頂点に立つ捕鯨業界の特権階級ぶりを象徴している。水産予算のあまりに不公平な配分は、水産業従事者全体の利益を明らかに損なっている。「国際情勢」(引用)を考慮して、本来の受益者に益がない無体な〝原則〟を引っ込め、商業捕鯨モラトリアムを受け入れたのは、常識的な判断であった。反捕鯨団体とのくだらないパフォーマンス合戦に多額の税金を注ぎ込むくらいなら、水産業全体・国民全体の利益や国際協調・国際法の遵守という広義国益を優先して南極海から撤退するという常識的な判断を下すべきだ。
7 「第六鯨類科学調査により得られた科学的知見の国内外における普及及び活用等に関する基本的事項」二および三、PDF8ページ目について
国と調査実施主体両方で情報発信を行うのはまったくもって税金の無駄遣いである。最低でも、公金の拠出を伴う情報発信は一方に集約すべきである。
また、1で指摘したように、近代捕鯨史に関する基本的事実をよりによって水産庁の担当者が理解せず、〈基本方針案〉に誤った情報を記載しているようでは、フェイクニュース発信に税金が使われることになりかねない。ボランティアでデマの火消しをさせられている市民にとってはたまったものではない。さらに、一部の捕鯨推進媒体では悪質なデマに加えて排外主義を煽る内容も見受けられる。
税金を拠出するならば、虚偽の内容か否か、排外主義を煽動していないか、第三者によってチェックする体制が求められる。日本の国際的信用をさらに貶め、商業捕鯨再開への道を自ら閉ざしたいのであれば話は別だが、納税者はやはりたまったものではない。
最後にパブリックコメント(パブコメ)について。
パブコメは一般の国民が行政機関に声を届ける貴重な機会ではあるが、募集事案に対する賛否の比率等、国民の考え方がストレートに反映されるわけではなく、デメリット・限界も存在することに留意すべきである。
2011年の動物愛護法改正の際の環境相パブコメに対しては、動物取扱業者と動物愛護団体双方から大量の組織票が投じられ、集計作業に遅滞が生じる事態となった。
今回の案件に関しては、事業における直接の利害関係者である日本捕鯨協会や全日本海員組合等が大量の組織票を動員できるのに対し、犬猫問題と異なりクジラの問題に関して日本国内で組織票を動かせるほどの市民団体はない。
犬猫の福祉や原発、生活に直結する問題であれば、国民の関心もそれなりに高い。しかし、相手は一般市民が接する機会がほとんどない海の野生動物である。ごくたまに食べるか、ごくたまに観察する機会があるだけで、捕鯨政策は事実上国民生活にまったく影響を及ぼさない。税金の無駄遣いや水産予算の分配の不公平の問題は決して疎かにできないことだが、さすがに国家予算全体において金額的に突出しているとまではいえない。南極海のクジラはほとんどの日本人にとってあまりにも遠い存在である。
わざわざパブコメの意見を考えて行政機関に送付する手間隙をかけるのは、一般市民にとって必ずしもハードルが低い作業ではない。今回の案件に関しては、個人情報が提供される可能性のある関係府省に警察庁等も加わっているため、ちょっとした意見を送るだけで警察に個人情報を回されなければならないのかと、二の足を踏む市民もいるだろう。
結果として、大きな利害を持つ事業関係者に近い筋の意見で占められる可能性が非常に高いと考えられる。
〈基本方針案〉の制定は「法」の成立に基づくものだが、調査捕鯨の賛否は選挙の争点になどなっておらず、立法府の構成は有権者の捕鯨に対する意見を反映したものではない。利害関係のある推進派団体による強力なロビイングの結果である。
実際には、「調査の名目でやるのはおかしいのではないか」「南半球の人々の反対を押し切ってまでわざわざ南極でやる必要はないのではないか」と国民の大多数が思っていたとしても、決して不思議ではない。
野鳥など野生の生きもののの観察を趣味とする日本国民は大勢いる。それらの国民は皆、日々観察対象とし身近に感じている野生動物が、地球の裏側から突然押しかけてきた人たちにたくさん殺されていったとしたら、間違いなく悲しむだろう。また、そうした思いを抱いている人たちに対し、共感を覚えるに違いない。
逆に、共感する日本人などいない、それが日本人の国民性だなどとは、一日本国民としては到底信じることはできない。「自分が殺される側の立場だったら」という想像力を働かせる能力が日本人に欠如しているとは。
水産庁・日本政府は、「南極の野生動物を殺して食べる一握りの日本人の楽しみ」と、「南極の野生動物を殺されることで受ける大勢の南半球の人々の悲しみ」のどちらを優先するのかと、国民に問いかけたことが一度もない。
伝統文化は可変であり、その価値は絶対不可侵のものではなく相対的なものだ。相撲の女人禁制然り。今の日本で社会的・経済的理由で廃業を余儀なくされている伝統産業はごまんとあるが、鯨研・共同船舶に対するような国からの手厚い支援はない。今の時代、本当に南極海で捕鯨をやる必要があるのか、政府は改めて国民に問うべきである。
以上
~ 水産庁による回答 ~
回答公示日:2018年6月26日
・御意見として承りました。我が国としては、鯨類について他の水産資源と同様に、科学的根拠に基づき持続的な形で利用すべきと考えています。また、鯨類の利用は、我が国の文化に根ざすものであり、文化の多様性の観点から、尊重されるべきであると考えています。
・また本基本方針は、平成29年6月23日に成立した「商業捕鯨の実施等のための鯨類科学調査の実施に関する法律」に基づき定められるものです。
詳細:嘘つきデタラメ水産庁──歴史を捏造する捕鯨族議員と傀儡水産官僚たち
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